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妖食フルコース フェスタン <アシェットデセール>

   

「すみれと初めて会った日のことを、覚えている?」
「もちろんです。最初にお会いしたのは、駅前の小さなティールームでした。一応の面接を兼ねての、初めてのお茶会でした」

妖食フルコース フェスタン
 ~第8章:アシェットデセール~

Illustration:まめゆか

 

◆アシェットデセール◆
《アソルティマン・ド・デセール》
 ~オレンジケーキほか、3種類のデザートの盛り合わせ~

 苦いものを味わったことのない者は、
 砂糖の何たるかを知らぬ

(ルーマニアの諺)

 その「名前」での最後の勤め先となった某大学の研究者時代から、梅澤先生は、あまり他人を寄せ付けない老学者として知られていた。数えきれないほどの心病んだ患者を相手に、人間の精神のありようを研究していただけに、プライベートでは静寂と孤独を愛していたのだろう。
 医学界を離れてからは俗世間との関わりをキッパリ断ち切って、画布と絵筆だけを友に自宅のアトリエに引きこもって。この歳までついに独身を貫き、通いの家政婦が週に何度か来るだけの古い洋館でひっそり暮らしているのを見ても、もともと他者を必要としない、孤高の隠者なのだと思っていた。
 唯一の例外が古馴染みのエレーヌであり、その「娘」として育てられてきたわたしたちだった。とは言え、わたしたちが梅澤先生に初めて会った頃は、こんなに打ち解けたひとではなかった。変化が生じたのは、わたしたちが12年前にこの「芝居」を始めてからだろう。近年のような、「気難しそうに見えても話してみれば好々爺」という雰囲気になったのは――恒例の食事会に、さやを出席させるようになってからだろうか。
「あら、素敵。ここに飾ったのね」
 空気の入れ替えをしているのか、大きく開かれた客室のドアの向こうから、わたしのアリスのかすかな「気配」が漂ってくる。過去最高と言えるほど可愛がってはいたけれど、特別な執着はなかったはずなのに、あの子のことは今でも心のどこかに強く残っている。わたしは客室に入り、個展でも大好評だった梅澤先生の会心作を眺めた。
「フフッ。やっぱりあなたは、泣き顔が一番ね」
 優美なアールヌーボー風の装飾が施された窓辺に立つ、ひとりの少女。華やかなドレスを身にまとった少女は、まるでおとぎ話に出てくる王女のように美しく、その手には毒々しいほどに赤い一顆の果実がある。その上に、少女のまなじりからこぼれる涙が音もなく降り注いでいた。
「競売にかけて、どれくらいの高値がつくか試してみようと思ったのに……繭があなたを欲しがるなんてね」
 もらった給金を使う必要も機会もないせいか、繭はある程度まとまった額の貯金を持っていた。それをすべてはたいてさやの絵を買い取りたいと申し出ると、梅澤先生は「謹んで贈呈しよう」と言って、手ずからリボンまでつけて梱包してくれた。そうして初個展の最終日となった昨日、お得意さま向けの立食パーティーを手伝ってくれた繭に、うやうやしく差し出したのだった。
「こうしていると、あなたの声が聞こえてくるような気がするわ。かわいい嗚咽と、山のような恨みつらみが」
 絵に手を伸ばし、涙の筋が光る頬を、そっとなでてみる。
 それに重なるようにして、わたしを呼ぶ声が聞こえてきた。
「百合子さま……百合子さま?」
「繭? こちらよ」
 廊下に向かって少し声を張り上げれば、軽い足取りで階段を上って来る音が近づいてくる。すみれの愛娘は、どうやらわたしを探していたようだった。

 

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