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ショート・ショート

星物語<8> 朝露

   

星をテーマにした超短編小説です。ほんの少しの時間で読めます。

 

 笹本育子は、最後のデータを入れ終わると、いちどキーボードから手を離した。
 ここで間違えては、元も子もない。
 こまめにセーブをしてあるものの、もう誤操作は許されないのだ。
 深呼吸してからリターン・キーを押す。
「主任、終わりました」
「おい、さ、やるぞ」
 主任と三人のプログラマは、一斉にキーボードに向かった。
 もう半日も遅れている。
 一刻でも惜しいのだ。
 笹本育子は、主任の前に立った。
「すみませんでした」
 深々と頭を下げるが、主任は顔も上げない。
 笹本育子は部屋を出た。
 夜の廊下は、ひときわ広く見える。
 壁際のコーヒーメーカーが目に入ったが、飲む気になれない。
 カードを挿入してエレベータに乗り、屋上へ向かう。
 五時間前、笹本育子はミスをした。
 三千件のデータを一瞬で消してしまったのだ。
 それを入れ直すのに五時間。
 データ解析を始めるのが五時間遅れてしまった、ということだ。
 屋上へ出る。
 初夏の空は、もう明るい。
 庭園へ向かう。
 新築のインテリジェント・ビルである。
 屋上には、環境に配慮して、緑が茂る庭園が作ってあった。
 庭園の中をまっすぐに歩く。
 むろん、庭園の端は金網で囲まれており、事故が起きないようになっている。
 草が朝露に濡れていた。
「あのう……」
 小さな声がした。
「お願いがあるのですが」
「え?」
 立ち止まって、辺りを見回す。
「ここです」
 声は足下から聞こえる。
 見下ろすと、草の脇に小さな人間が立っていた。
 小指ほどの大きさの男だ。
 深い黒色の洋服を着ている。
 聡明な顔が、悲しみに満ちている。
 笹本育子は、かがみ込んで男と向き合った。
「なあに?」
「助けてもらえませんか」
「どうしたの?」
「うっかり寝過ごして、帰れなくなりそうなんです」
「うっかりミスって、あるわよね」
「よくやるんです」
「それで、何を助ければいいの」
 男は、自分の脇を指さした。
 草を小さく丸めたものが置いてある。
「これが、あと七個必要なんです。僕の力じゃ、時間までに作れるのはせいぜい三個」
「時間?」
「お日様が出てしまえば、朝露が消えて、帰れなくなる」
「分かったわ、まかしてちょうだい」
 笹本育子は、草の葉を取り、小さくちぎった。
 それを丸める。
 たちまちのうちに七個を作り上げた。
 男は、丸めた草のひとつひとつに、朝露の玉をひとつづつ入れた。
 それを蜘蛛の糸でまとめ上げる。
 辺りが、いっそう明るくなってきた。
 朝露が蒸発を始め、草の風船が昇り始めた。
 蜘蛛の糸がピンと張り、糸を持つ男も空中に浮く。
「どうもありがとう、本当にありがとう。これで帰れます」
「元気でね」
「ご恩は忘れません」
 緑の風船は上昇を続け、朝空の中で黒い点となる。
 やがて……、その点も空に溶け込んだ。
 振り向くと、太陽が顔を出し始めている。
 笹本育子は、朝の空気を胸一杯に吸い込んだ。

 

─Fin─

 

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