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歴史・時代

東京探偵小町 第二十九話「主従の契」 <2>

   

「僕を手放すとおっしゃるのなら……いいですよ、今日からは勝手にお仕えしますから。それなら、文句はないでしょう? 僕は今日から、ひとりの『魔』として、あなたさまにお仕えします」

小説版『東京探偵小町
第九部 ―錯綜編―

Illustration:Dite

 

「は、やく……逃げ…………!」
 御祇島が潰れきった喉からしわがれ声を絞り出し、ニュアージュに命じる。首を振り、けれどもこのままでは主従ともに野たれ死ぬだけだと、ニュアージュは意を決して顔を上げた。
「逃げたり、なんか」
 託された時枝が少しでも土埃に汚れないようにと、床に放られたままの行燈袴を枕にそっと横たわらせる。そして震える足を叱って立ち上がると、ニュアージュは衣服に血がにじむほどの強い力で、焼けつく胸元を押さえた。息を継ぐたびに激痛が走るのは、御祇島の肺が腐毒に侵されている、その痛みに同調しているためだった。
「逃げたりなんか、するものですか。御主人さまを置いて、どこに行けとおっしゃるのです」
 だが、ほんの一歩を踏み出しただけで、猛烈な痛みに耐えきれず膝が折れる。ニュアージュはギリとくちびるを噛み締め、自分たち主従の守り手である、地下世界の宗主に救いを求めた。
(公子さま……僕は、どうすれば)
 誰でもいい、誰かの命を汲み尽くすほどに生き血を飲めば、御祇島の力も少しは戻るのだろうか。力が戻らなくても、死の窮地から脱することくらいは可能なのだろうか。
 たかが妖猫一匹のために地下世界からの応えはないが、御祇島の命の源が、他者の生き血であることに変わりはなかった。御祇島は他者の血を口にしなければ飢えて死に、魔族としての力を発揮することもできない。逆に言えば、他者の生き血さえあれば、自身の命を繋ぎ魔力を振るうことができる。吸血鬼として生を受けた以上、すべてが他者の生き血にかかっているのだ。
(こうしている一秒さえも惜しい。とにかく、獲物を)
 こんなところで、身命を賭してと誓った主君を死なせるわけにはいかないと、ニュアージュは肩で息をしながら一歩を踏み出した。回復までにどれほど多くの生き血が必要なのかわからないが、朽ち行く御祇島を救うのは、生ある者の体に熱く流れる血液、それしかないのだった。
「御主人さま、少しのあいだ、御辛抱なさって下さい。すぐに獲物を見繕ってきます」
「……………………!」
 何か言おうとしているのか、御祇島が腕を伸ばしながら体をわななかせる。ニュアージュは崩れかかっている御祇島の手を取り、苦痛をこらえて笑みを浮かべた。
「もう少しの御辛抱です、すぐに」
 主従の契約が消滅した以上、主君の苦痛が使い魔に伝わることなどないはずなのに、身の内に溶岩を抱き込んだような、信じがたいほどの激痛がたしかにある。精神感応ゆえの幻痛などという、生易しいものではない。息を吸う、ただれそれだけでも胸に激痛が走るなか、ニュアージュは口内にあふれる血を吐き捨てた。
「すぐに、戻ります」
 常闇の地下世界において一定の力や地位を持つ者は、自身の手足となって立ち働く「使い魔」を持つのが通例だった。雑役用に使役する場合、その者の素質より利便性を重視するため、大抵は必要としたときに目についた犬猫や鴉、野鼠などが使い魔に選ばれる。蝶や蛾などの虫が使われることもあるが、ニュアージュのように闇に生きる者への奉仕を運命づけられた血族というのは、かなりまれな存在だった。

 

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