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歴史・時代

東京探偵小町 第二十九話「主従の契」 <3>

   

「青藍…………!」
「だッから言ったろうが! 野良猫なんざを家に入れるから、こういうことになるンじゃねェかよッ!」

小説版『東京探偵小町
第九部 ―錯綜編―

Illustration:Dite

 

 朱門を思い出すときは、その顔よりも早く「声」が蘇る。
 そんな不思議な現象に気付いて、倫太郎はほんの数秒ほどの短い物思いから覚めた。
 顔よりも先に声を思い出すのは、朱門の一番弟子として常にその背中を見つめていたからだろうか。もしくは、朱門の隣に在って、常に同じものを見つめていたからだろうか。道源寺と逸見を招いての懇談で予想外の話を聞かされたせいか、さしもの倫太郎も今夜は混乱していた。ほんの少しでいい、ここで一拍おいて気持ちを落ち着けてから時枝の様子を見に行こうと、倫太郎は応接室の扉にそっと寄り掛かった。
「実子であろうとなかろうと、子供はすべて神の子。この子は神が授けて下さった子…………」
 声にはならないほどのかすかなつぶやきに、朱門の声が重なって聞こえる。懐かしい声をたどるように繰り返すと、かつて朱門が道源寺に語ったという言葉が、温かく胸に響いた。
 倫太郎が朱門に弟子入りをしたのは、十五の春。
 和豪が在りし日の朱門に伴われてこの事務所にやって来たのは、十七を目前にした十六の夏である。互いに、今の時枝と同じくらいの年頃だったのだ。朱門はきっと、弟子である自分たちにも、上海に残してきた実子と変わらぬ情愛を注いでくれたのだろう。拾い子である時枝はもちろん、弟子として住み込んでいた自分たちにも、「神から授かった子」という温かい眼差しを注いでくれたのだ。
 幸せだった日々を思い起こしながら、倫太郎は亡き朱門と過ごしてきた事務室の扉を見つめた。
(そうですよね、先生。僕らは、それをお嬢さんに伝えればいいんですよね。お嬢さんなら、必ずわかってくれるはずですから)
 拾い子であったという事実は事実として、相当の衝撃を受けるだろう。だが、時枝がその話を聞くときには、隣に梅心がいる。上海から愛娘に会いに来た梅心が時枝に寄り添い、道源寺と共に、十七年前の出来事を打ち明けてくれるのである。
 和豪は時枝の受けるであろう衝撃と悲哀を今から案じ、不満顔でだんまりを決め込んでいるが、自分たちの成すべきことは、時枝に同調することではない。兄代わりとしてその場に立ち会い、今後も変わらぬ思いで時枝を支えて行きたいと伝えることなのだ。
(お嬢さんは強い子です。謹慎も明けましたし、無事に期末試験が終わって楽しい夏休みを過ごせば、もうすっかりいつものお嬢さんに戻っていますよね。この話は早くても夏休み、それまでには和豪くんの心配も薄らいでいるはず)
 そんなことを考えながら廊下を横切り、事務室の扉を開けたところで、倫太郎の心臓が大きく脈打った。長椅子で眠っていたはずの時枝の姿が見当たらない。慌ててあちこちを見回すものの、時枝の姿は事務室のどこにもなかった。再び廊下に出て、洗面室や手洗いのあたりをうかがってみても、やはり人の気配はなかった。
「お嬢さん、御自分の部屋に…………」
 そう言いかけて、二階への階段は、吹き抜けになっている応接室側にあるのだと息を飲む。応接室の扉を開けずに、つまり応接室にこもって談話をしていた四人に気付かれずに二階へ行くことなど、絶対に不可能なのだ。
「和豪くん!」
 倫太郎は、嫌な予感に突き動かされるように和豪を呼んだ。
 倫太郎には珍しい、叫ぶような大声に、食堂のテーブルであぐらをかいていた和豪が目を見開く。和豪が食堂のテーブルから飛び降りるのと、同じように驚いた道源寺と逸見が席を立ったのは、ほぼ同時だった。

 

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