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歴史・時代

東京探偵小町 第三十一話「夢で逢う」 <1>

   

「縞、元気だった? ああ、良かった、元気そうだね。
 ボク、もう一回おまえに会えるなんて、夢にも思わなかった」

小説版『東京探偵小町
第九部 ―錯綜編―

Illustration:Dite

 

 水のように透き通った水晶のなかに、幼い頃の遊び場に良く似た風景を閉じ込めた文鎮を、蒼馬はその晩、飽かず眺めていた。角度を少し変えるだけでさまざまな風景が見えるのは、水晶が内包する夾雑物の多さに由来するものだろう。あれこれと眺めているうちに、ある角度からは小さな虹のような光まで見えることがわかり、それがまた蒼馬を夢中にさせた。
 青藍が野良猫に襲われて落鳥し、時枝が急病に倒れて面会謝絶となったことを聞いたとき――蒼馬はそのふたつの知らせのなかに、たしかな「死」の気配を感じ取って怯えた。
 あんなに元気だったのに、ほんの一瞬で命を落とし。
 あんなに元気だったのに、たった一晩で面会謝絶になってしまう。活力にあふれ、自由に動き回れる者たちでさえ、明日はどうなるかわからないのである。そんな非情とも言える現実に、病身の蒼馬は心底おののいた。
 青慧中学校で起こった「野犬事件」で負傷し、帝大附属医院に担ぎ込まれてからというもの、蒼馬の体調は一進一退で絵筆を持つ回数もめっきり少なくなっている。無為な日々を過ごしているという嘆きが心を侵食していくなか、青藍と時枝の件がさらに追い打ちをかけ、蒼馬はほんの十日ほどで瞬く間に気力と体力を失ってしまったのだった。
 そこにもたらされたのが、柏田から贈られた水晶文鎮だった。
 みずから「庭園水晶」と名付け、その不思議に美しい景色を眺めているうちに、蒼馬は徐々に落ち着きを取り戻していった。ただ珍しく美しいだけの水晶であったなら、ここまで蒼馬の心に響くことはなかっただろう。蒼馬の目には、水晶に入り混じる緑泥石が慣れ親しんだ故郷の森に、その周囲に散らばる角閃石の欠片が愛鳥と愛猫に見えるのだ。
 そんな見立てと共に水晶文鎮を眺めているうちに、蒼馬の心身に小さな変化が起こった。前夜までと同じような苦しいばかりの一夜にはならず、だいぶ夜更けてからではあったものの穏やかな眠りにつき、翌日は心地良く目覚めた。そうしてばあや代わりのトミが見繕ってきた枇杷をふたつほど口にして周囲を喜ばせ、久々に体を起こして画帳を開いたのだった。
「今日が日曜日で、ほんにようございました。坊っちゃんもねぇ、皆さまが足繁くお見舞いに来て下さるのに、枕から頭が上がらないのが情けないと、気に病んでおりましたんですよ」
「そうでしたの。紫月さまにそんな御心配を……わたくし、ほんの少しでもお話し相手になれればと思っておりますのに」
「ええ、そりゃあもう、坊っちゃんは松浦さんがお越し下さるのを楽しみになさっておいでなんですから。そうそ、なんですか、昨日、警視庁にお勤めの柏田さんから、お見舞いにとても良いものを頂いたそうで」
「まあ、柏田さんが」
 顔見知りではあるものの、親密と言えるほどの関係ではない柏田でさえも、こんなにも蒼馬の身を案じてくれる。時枝がここにいたなら、蒼馬のためにどんなに喜んだだろうと思いながら、みどりはトミの話に耳を傾けた。
「ええ、ええ、とっても珍しい、きれいな文鎮を頂いたんですよ。それからすっかり御機嫌が良くなって、今朝なんて枇杷をふたつも召し上がって。お昼にはもう少し、精のつくものを召し上がって頂かなくてはねぇ。それじゃ、坊っちゃんをお頼みしますよ」
「はい」
 みどりもまた、蒼馬の病室に頻繁に通う見舞い客のひとりである。案内の必要はないと見て、トミはそのまま洗濯場のほうへと折れていった。トミは蒼馬の身の回りの世話をするために、蒼馬の上京当初から雇われている通いの家政婦で、入院時にはこうして付添婦の役目を果たしているのだった。

 

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