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歴史・時代

東京探偵小町 第三十二話「恋ひとつ」 <4>

   

「わたしは永原くんの第二の後見人を自負する者だが……その話、心に留めておこう」
 逸見はあくまで「医学者の逸見晃彦」として、時間を確認した。倫太郎は時枝の負傷を説明するべく、女学院から呼び出しを受けている身である。時枝の後見人を演じるならば、学院長の心象を悪くしないよう、早く行けと促してやらねばならなかった。
「内山くん、君は学院長のもとへ急ぎたまえ」
「でも、教授」
「こちらの御令嬢の話は、わたしが代わりに聞いておこう。仮に、永原くんに何か小言を言わねばならないのなら、その役はわたしが引き受けた。『わたしの患者』であるうちなら、説教もしやすい」
 苦笑交じりに言ってやれば、倫太郎もまた、苦笑を浮かべる。
 倫太郎は恐縮しながらもこの場を逸見に任せ、先に女学院の門をくぐることにした。
「大迫さん、うちのお嬢さんの件に関しては、改めてお話をさせて下さい。それでは逸見教授、お願いします」
 鷹揚にうなずいて、院長室へ向かう倫太郎を見送る。
 後には、逸見と大迫八千代だけが残された。
「ククッ、まったく、人間の娘どもは面白い」
「なっ、何が……面白いん、ですの」
 急に声音の変わった逸見に驚いて、八千代が口を開く。
 自身の声の震えに驚いて、八千代はややひるんだ様子を見せた。
陽気によっては汗ばむ日もある晩春、朝と言えども寒いはずはない。それなのに、なぜか全身に震えが走り、声がかすれてしまうのが、八千代はひどく恐ろしかった。
「わ、わ、わたくしを、笑う、おつもり?」
 八千代はすがるようにパラソルの柄を握り締め、女学院の煉瓦塀のほうへと後じさった。対する逸見は黒縁の眼鏡を外すと、口の端に酷薄な笑みを浮かべた。
「おまえの望みは何だ?」
「の、望み?」
 何を聞かれているのか、瞬時にわかったと見えて、それが八千代の表情に現れる。おびえる八千代をおかしそうに眺め、逸見はつと距離を詰めるや、八千代の顔を覗き込んだ。
「そうだ。おまえはあの娘をどうしたい」
「どうって……おっしゃる、意味が、わかりませんわ」
 気丈に答えるものの、八千代の声に覇気はない。
 まだ登校時間にもならない聖園女学院には人影らしきものもなく、逸見は八千代を容易に追い詰めることができた。逃げ場を失くした八千代の背中が女学院の煉瓦塀にぶつかるまで、ものの数秒もかからなかった。
「ならば、わたしが言い当ててやろう」
 逸見が軽く身をかがめ、八千代に視線を合わせる。
 眼鏡を外した医学者の、黒い瞳が赤紫色に変じていくのを見た瞬間、八千代の頭のなかに逸見の声がじかに鳴り響いた。
「おまえは、あの娘に復讐してやりたいのだ」
「ふ、復讐…………?」
「差し伸べてやった手に気づくことなく、おまえの胸に深い傷跡を残したあの娘に、同じ苦しみを味わわせてやりたいのだ」
「わたくしは……わたくしは…………」
 耳をふさごうとする八千代の手から、力が抜けていく。
 醜い気持ちを簡単に見透かされたのが、恥ずかしくも恐ろしいのだろう。その目には、早くも涙がにじんでいた。
「力なき女ゆえの浅知恵だな。おまえは『魔女』という言葉を刃物に、あの娘に斬り掛かったのだ」
「わたくしは、ただ、永原さんが…………」
「魔女か。フン、面白い。だがおまえは、あの娘を魔女とさげすみながら、その実、誰よりも強くあの娘を求めている。たったひとつのよすがだった学友としての縁も切れた今、おまえにはもう、何もない」
 八千代の脳裏に「何もない」という言葉だけが強く響く。
 親愛を込めて渡したあの緋桃のリボンのように、八千代と時枝を繋ぐ縁はあまりに細い。いずれ時枝が聖園女学院を巣立ち、卒業生同士になったら、この縁すらもはかなく消えせてしまうだろう。
 姉にも、友人にも。
 時枝にとっての、何者にもなれない。
 その事実が、八千代はただ、哀しかった。

 

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