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歴史・時代

東京探偵小町 第三十三話「暗い部屋」 <2>

   

「リヒトくん」
「夕食を持って来た」
「えっ、もうそんな時間なの?」
「あと数分で六時の鐘が鳴る」

小説版『東京探偵小町
第十部 ―奪還編―

Illustration:Dite

 

 満月の晩に、逸見邸に運ばれてから半月。
 夏の夜空を照らす月が欠けていくのに従い、時枝の心も少しずつ欠けていくようだった。
 毎晩、繰り返し見る、同じ夢。
 暴漢に襲われた日を境にみずから食を断ち、ついに命を落とした大迫八千代が、見知らぬ男たちによって無惨に心身を引き裂かれていく。「永原さん!」と泣き叫びながら、助けを求めている。夜毎の夢のなかで時枝は必死に八千代を救おうとするのだが、頭から爪先までが石のように固まり、手を伸ばすことさえかなわなかった。
「助けて! 助けて、永原さんっ!!」
『お姉さま!』
 殴られても蹴られてもいい、何とかして八千代を助けたいのに、どんなに頑張っても体が言うことを聞かない。指の一本も動かない。そうして駆け寄ることはおろか、声を出すことすらできないまま、八千代が目の前で蹂躙されていくのだ。
『やめてっ! やめて、お姉さまを離して!!』
 八千代の悲鳴が聞こえるたび、八千代から名を呼ばれるたびに、八千代の感じている恐怖や苦痛が時枝の全身に容赦なく突き刺さる。そのうちにグラリと視界が傾き――眩暈が止むと同時に、時枝の前に広がる光景が変わる。
 なぜか、八千代と入れ替わってしまうのだ。
 入れ替わる、というのは正しくないだろう。
 正確に言えば、八千代と重なってしまうのである。
「やめてぇぇぇっ!」
 吐き気を伴うほどの、不快な目覚め。
 額に手を当てながら、時枝は寝汗のひどい、重い体を起こした。
「また……あの夢……………………」
 広い寝台で起き上がった時枝は、正面に掛かる、黒紅色の重厚なカーテンを見つめた。
 外界からの光を一切遮断する、暗幕じみた厚織りのカーテンが、東側と南側の大きな窓に掛かっている。カーテンを閉め切ると室内にはまったく陽が射さず、朝鳥たちの鳴き声すら聞こえない。時枝は隙間からわずかに漏れ入る光で、朝の訪れを知るほどだった。
「いっそ、ずっと夜ならいいのに……ううん、夜もいや。あたし、もう眠るのもいや」
 我ながら子供のようなことを言っていると、時枝は自嘲まじりの笑みを浮かべた。
 時枝の起き伏しする逸見邸の離れは、十二畳ほどの洋室だった。東と南に面した窓には、黒紅色の厚いカーテンだけでなく白鼠色の紗のカーテンも二枚重ねで掛けられ、昼間でもそれは引かれたままになっている。窓の外にどれほど明るい夏空が広がっていようとも、この部屋のなかにいると、世界中が今にも降り出しそうな曇り空の下にあるとしか思えないのだった。
「そうね……曇りならいいんだわ。昼間でも、まるで夜みたいな、暗い曇り空なら」
 最初は室内の薄暗さに困惑していた時枝だが、慣れてしまうと、この薄闇が妙に心地良い。これから盛夏を迎えるというのに、窓を開けなくてもひんやりと涼しく、目を閉じるとまるで洞窟のなかにいるようだった。
 音も光も届かない、殻のような部屋。
 いつもの時枝なら、たとえ逸見から絶対安静を言い渡されていたとしても隙を見て寝台から抜け出し、せめて外の空気に当たろうとしただろう。
 だが今は、とてもそんな気分にはなれなかった。
 どこまでも広がる明るい夏空はもちろん、煌めく月や夏の星々を眺める気にもなれない。シズが空気の入れ替えのために、しばらくのあいだ窓を開けるのも、気が進まないくらいなのである。
「一日中、寝てばかりいるのに、ちっとも疲れが取れないなんて。あたしの体、一体どうしちゃったのかしらん」
 この部屋の薄暗さを、逸見は「昂ぶっている神経と衰弱している体を休めるためだ」と言っていたが、まさにその通りだった。こんなに疲弊している状態で夏の日差しを浴びても、そのまぶしい光が辛いばかりだろう。時枝はため息を押し殺して、暫時、まぶたを伏せた。

 

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