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歴史・時代

東京探偵小町 第三十三話「暗い部屋」 <3>

   

「食べられないと思うから食べられない。それだけだ」
「そうかもしれないけど……嘘じゃないの。本当に気持ちが悪くなっちゃうの」
「自分でそう思い込んでいるだけだ。どうしてそれがわからない。あんな薬に頼っていたら、治るものも治らない!」

小説版『東京探偵小町
第十部 ―奪還編―

Illustration:Dite

 

 この半月ばかり、逸見とシズにしか会わなかった時枝は、窓辺に立つリヒトをどこか懐かしいような気持ちで見つめていた。
 遠目にもわかる赤毛に、右眼を覆う灰色の布眼帯。
 季節を問わず、いつでもきっちりと制服を着込んでいるリヒトにしては珍しく、今日はあの軍服じみた瑠璃紺の上着を着ていない。だからだろうか、白いシャツの衿元からのぞく包帯が、やけに目につくようだった。
「リヒトくん、首の包帯に血が……シャツの袖にもついているわ。早く、お手当てしなくっちゃ」
「気にしなくていい。これくらい、いつものことだ」
「でも」
 時枝自身も首に傷を負っているためか、どうしてもリヒトの首に巻かれた包帯に目が行ってしまう。傷というより、慢性的な皮膚病に近いのかもしれない。そんなことを考えながら、時枝はなおも、わずかに血のにじむリヒトの包帯を気にしていた。
 だが、気にはなるものの、リヒトのほうは深追いなどしてほしくないのだろう。時枝は話題を変える意味も含めて、リヒトにまで余計な世話と心配をかけてしまったことを詫びた。
「あの……本当にごめんなさい。リヒトくんにまで、こんな迷惑をかけてしまって」
「迷惑だとは思っていない。オレも永原には、早く良くなってほしいと思っている」
 リヒトの視線から優しい気遣いを感じ取って、時枝は小さな子供のようにうなずいた。リヒトの口数の少なさ、時に素っ気ないとも取れるほど落ち着いた態度が、今はただ、ありがたかった。
「リヒトくんは、いつもこの時間に帰ってくるの?」
「特に決まっていない。今日は土曜だ、普段なら、もう少し早い。今日は兄上から言い付かった用を片付けていたら、遅くなった」
「そうなの、今日は土曜日だったのね。だめね……あたしったら、今日が何曜日なのかも、良くわからなくなっちゃったんだわ」
「オマエがここに運ばれてから、今日で二週間になる」
「二週間…………」
 もうそんなに経つのかと驚く半面、もう何年も前から、この暗い部屋で暮らしていたような気もする。しなくてはならないこと、考えなくてはならないことが幾つもあるはずなのに、闇に満たされた殻のなかに閉じこもっていると、すべてが曖昧にぼやけてしまう。何もかもが、どうでも良くなってしまうのだ。
 そんな自分を叱るように、時枝はぎゅっと手を握り締めた。
 一方のリヒトは、時枝の前に盆を置いて布巾を取ると、少しでもいいから食べるようにとすすめた。
「ありがとう……あの、シズさんは?」
「今日は用があるから、早めに帰ると言っていた。代わりに離れに運んでくれと頼まれて、持って来た」
 うなずいて、時枝は盆に並ぶ夕食を見た。
 南瓜入りの雑炊に、玉子豆腐とさやえんどうの清まし汁が添えてある。まだ湯気が立つほど温かく、彩りも美しく、シズの細やかな気遣いがひと目でわかる。だが、時枝はやはり、箸も散蓮華も持てなかった。
「永原。ひと口でも食べる努力をするべきだ」
「そうよね、わかっているわ。あたし、良くわかっているの」
 途端に震え出した手に力を込めて、塗箸を手に取る。
 見届けるつもりなのだろう、リヒトは時枝の様子を痛ましそうに見つめながら、横手の椅子を引き寄せて時枝のそばに座った。
「今日の献立は、オレがシズさんに頼んだ」
「えっ……これ、ふたつともリヒトくんが考えてくれたの?」
 意外なことを聞いたと、時枝が震えの止まらない手を隠しながら軽く目を見張る。リヒトはこくりとうなずいて、今日の献立は亡き輝彦が好んでいた療治食だと告げた。

 

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