幻創文芸文庫 (β)

小説好きの創作小説を無料配信*スマホ対応

歴史・時代

海舟こぼれ話(3) 翠ガ淵

   

 雲の通路吹き閉ぢて、乙女の姿留まりぬ。
 二人の契を例えれば、緑の亀に白い鶴。

 

 明治中期の春浅い日、駿河の海岸を歩いている二人づれがいた。
 幕末の偉人勝海舟と、知人のお静である。
 勝海舟は、やむを得ない用事で駿河に来ることになり、お静も一緒に付いてきたのだ。
 駿河へ来てからずっと勝海舟は不機嫌であった。
 お静にはその理由がよく分かっていた。
 徳川幕府が崩壊したとき、徳川慶喜は駿河へ移ることになった。
 その段取りをしたのが勝海舟なのであった。
 この土地にいい思い出があるはずはない。
 機嫌を直すにはどうしたらいいか、なにか話をさせるに限る、とお静は考えた。
 彼女にしかできない操縦法であった。
「ねぇご御前」
「なんだ」
「綺麗な海ですねぇ。それに白い砂浜」
「ああ、そうだな」
「なに、その生返事は。
 この辺りは、羽衣で有名な所でしょ。
 羽衣のお話をしてくださいな」

* * *

 昔々のことである。
 都を遠く離れた山村のはずれに、太吉という若者が、年老いた母親といっしょに住んでいた。
 太吉の粗末な家の、すぐ後ろには、もう山が迫っている。
 山には小さな道が通っており、村人は、その周りで柴を刈り、薬草を採っていた。
 その道を外れた山中は、千古、人が入ったことがないような、うっそうたる木々で覆われていた。
 誰も、山奥へ入ろうとはしなかった。
 山中でも、とくに、翠ガ淵と呼ばれる池に近寄ることはなかった。
 翠ガ淵とは、山の中腹にある淵の名前である。
 透き通るような翠色の水を、つねに満々とたたえたており、その水が枯れることはなかった。

 

-歴史・時代


コメントを残す

おすすめ作品