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歴史・時代

海舟こぼれ話(5) 六条屋敷

   

 いずれの御時にか、すぐれて時めきたまふ、
 御息所ありけり。

 

 勝海舟とお静は、銀座から日本橋へ向かって、ゆっくりと歩いていた。
 ちょうどガス灯に火が入った黄昏の頃である。
 背筋を伸ばして歩いていく矍鑠とした老人が、明治維新に大活躍をした偉人であるとは、道行く人々は気が付いていなかった。
 すれ違う人々が気になったのは、連れ添って歩くお静の方である。
 目鼻立ちの整った凄い美人で、辰巳芸者のような、婀娜な着こなしをしている。
 そんな小股の切れ上がった中年増が、ときどき目頭を押さえながら、老人と歩いているのだ。
 一体何事だろう、と思うのも無理はない。
「涙が止まらない。本当に良かったわ」
 涙を拭きながら、お静が言った。
「名人芸とは、ああいうのをいうのね」
 二人は、三遊亭円朝の落語を聞いた帰りなのであった。
 出し物は『文七元結』、人情噺の傑作である。
 お静は、感激のあまり泣き出してしまったのだ。
「よく知っている噺なのに、何度聞いても、おもしろいわ」
「そうだな」
「本当に上手いわね」
「上手いなんてものじゃない。達人だよ」
「そんなに凄いの」
「ああ。凄いところはいろいろあるが、例えば、間の取り方が絶妙だ」
「間?」
「人に何か話そうとするとき、普通は、出来るだけ途切れなく伝えようとしたり、分からせようとしつこく繰り返してしまう。
 これでは駄目だ。
 話すということは、相手がいる。
 相手をこちらへ惹きつけるには間が必要だ」
「話を聞いてもらうためには、話をしていない間が大切、というわけね」
「そうさ。
 もちろん、間が長引いてしまっては、緊張が途切れてしまう。
 短すぎず、長すぎない、間。
 話し相手の呼吸に合わせて間の長短を自在に操ること。
 円朝は、そこをしっかりと身につけている」
「まるで剣術の極意みたい」
「同じことさ。話だけで鬼を退治したということもあるんだ。昔々のこと……」

 

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