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歴史・時代

東京探偵小町 第三十三話「暗い部屋」 <4>

   

「オレもオマエと似たようなものだ。オレも親の顔を知らない」
「えっ……でも、リヒトくんは」
「オレは、本当は施設育ちだ」

小説版『東京探偵小町
第十部 ―奪還編―

Illustration:Dite

 

 苦しそうに咳き込む時枝の背中を、戸惑いながらもさすってやりながら、リヒトは改めて時枝が持っていた「形見の十字架」の強さを思った。これまでは時枝に触れるだけでも、灼熱の炎に焼かれるような、凄まじい痛みを覚悟しなければならなかったのである。
 ところが、今はどうだろう。
 今の時枝は自分の身を守ることはおろか、十分な体力を保つことさえできない、ただの非力な少女でしかなかった。
(熱さも痛みも、痺れもない。今の永原は確かに無力だ)
 あの晩――青藍との戦いで力を使い果たし、途中で離脱せざるを得なかったリヒトは、翌日になって逸見から事の次第を聞かされた。傷だらけの体を九段坂探偵事務所で休めていたリヒトが、朝になって赤坂の自邸へ戻ったときには、すでに時枝が別棟の離れに引き取られていたのである。
 思わぬ立ち聞きによってみずからの出生の秘密を知った時枝は、あまりの衝撃に、形見の十字架を置いたまま九段坂探偵事務所を飛び出した。そして時枝を狙う半吸血鬼の手に落ちたのだが、すでに時枝の「血」は吸血鬼にとっての猛毒に成り代わっていた。逸見が与えた飴玉状の呪薬によって、その血が大きく作り変えられていたのである。
 時枝にその飴玉状の呪薬を食べさせたのは、リヒトだった。
 今春、上海への短い里帰りを計画していた時枝に、「餞別として舶来物のドロップを買ってきた」と言って手渡したのである。季節外れの大嵐に里帰りを阻まれて消沈していた時枝は、リヒトの好意を素直に受け取り、すぐに深紅のドロップを口にした。その瞬間、時枝の体内を流れる赤い血潮のすべてが、吸血鬼を破滅に至らせる猛毒に変化したのだった。
(兄上は、これが永原を救う唯一の手段だと言っていた。永原を吸血鬼の毒牙から守り抜く、たったひとつの手段だと)
 たしかに、その言葉に嘘はなかった。
 時枝は優しい教師のふりをした半吸血鬼から守られ、今こうしてここにいる。だが、その生命が保障されたわけではない。単に「殺される相手」が変わっただけなのだ。しかも逸見の話では、いまだ夜風のなかに半吸血鬼の気配が残っているのだという。時枝の血を吸った吸血鬼は生きながらに臓腑から溶解し、泥のようにぐずぐずに溶け崩れて消滅するはずだったが、どんな奇跡が起こったのか、かろうじて命を繋ぎ止めたようだった。
 だが、逸見はそれをただちに始末しようとはしなかった。
 弱っているうちに叩けば良いものを、わざと泳がせてあるのだ。
 それを不審に思いながら、リヒトはようやく落ち着いてきた時枝の様子を見守った。
「大丈夫か」
「うん…………」
 リヒトの問い掛けに、時枝が消え入りそうな声で答える。
 時枝がなぜ食事を拒むのか、食べ物を受け付けないのか、リヒトには理解しがたかった。日々の糧を得なければ命が細り、やがて死に至るのは、使い魔も人間も変わらない。現に、久々に目にした時枝は、明らかに痩せ衰えていた。
 背格好が似ているからだろうか、病み衰えた姿が蒼馬に重なる。時枝の背中からそっと手を離しながら、リヒトは同じような苦しみのさなかにある蒼馬を思った。
 蒼馬もいまだに帝大附属医院から退院できず、体調は一進一退を繰り返している。その原因を作ったのはリヒト自身であり、時枝がここになかば幽閉されているのも、リヒトが時枝を狙う主君の片棒を担いでいるからである。それを思うと胸が潰れるようだったが、リヒトのなかでは、胸の痛みまでもが麻痺しかけていた。
 時枝のことなど、蒼馬のことなど案じなければいい。
 なかば自棄になってそう考える反面、誰かを案じる心を失ってしまったら、自分は逸見以上の悪鬼になってしまうのではないかと体が震える。心を失い、ただの血に飢えた化け物になってしまうことが、今のリヒトには一番恐ろしかった。

 

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