幻創文芸文庫 (β)

小説好きの創作小説を無料配信*スマホ対応

歴史・時代

海舟こぼれ話(6) 鬼の拳骨

   

 人の心やえにしの糸は、朝の女のみだれ髪

 

 上野の山は満開の桜で埋まっていた。
 人出も多い。
 その人混みの中を、勝海舟とお静は、ゆっくりと歩いていた。
 勝海舟は、黙念としていた。
(桜は変わらない。人の笑顔も変わらない。政治体制が変わっても……)
 これを考えていたのだ。
 徳川の崩壊を整理した人間としては、当然の心境であった。
 そして――、
(俺は変わったのか。変わらないのか。変わった方がいいのか……)
 慚愧の思いが出てくるのである。
 お静は、花陰に女盛りを楽しんでいた。
「きれいね」
「ああ」
「朝日に匂う山桜、でしょ」
「うん」
「またぁ、御前、生返事ばかりで」
「じゃぁ、でも、はどうだい」
「でも?」
「桜はきれいだ。でも」
「でも、何?」
「でも、お静さんにはかなわない」
「あら、御前、どうしたの?」
「ん?」
「私のこと、きれいだなんて。初めてよ。地震でも起きなければいいけど」
 勝海舟は、お静の方を向き、にやりと笑った。
「時代が変わった。儂も変わるさ」
 横を向いていた勝海舟は、老人にぶつかった。
 老人は、お辞儀をしながら謝った。
「どうも、失礼いたしました」
「とんでもない。私こそ、横を向いていたので……」
 老人は勝海舟を見て、声を出した。
「あっ、これはこれは、安房様ではありませんか」
「おれぁ、安房じゃない阿保だよ」
「相変わらずでございますね」
「そういうお前さんは。ああ、思い出した。確か、栗塚……」
「はい、栗塚元三郎でございます」
「こりゃぁ、久しぶりだ。お前さん、腰が低くなったな」
「はい。時代が変わりましたし、もう隠居で……」
「そうかい。でも、時代が変わっても達者でなにより」
「御前も……。こちら様は娘さん?」
「いや、そうじゃないよ」
「じゃぁ、奥様で……」
「いや……」
「え、ああ、そうでございますか。これは、どうも野暮をいたしました」
「おいおい」
「ご心配なく。ここでお目に掛かったことは、誰にも申しません。
 つもる話はいずれまた。
 では、ごめん下さりませ」
「おいおい、違うんだ。待てよ……」
 栗塚元三郎は、訳知り顔で、さっさと人混みに入っていった。
 お静が嬉しそうな声を出した。
「奥様ですって」
「あいつ、昔から早とちりの癖があった」
「どなた?」
「栗塚元三郎といって、新撰組の猛者だった奴だ」
「新撰組の面影はありませんね。どう見ても優しいお爺さん」
「人は変わるさ。いろいろな事があれば。こんな話がある」

 

-歴史・時代