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SF・ファンタジー・ホラー

幻妖奇譚<2> 雲隠

   

黄昏とは「誰そ彼」。黄昏の頃、妖しの人と遭遇することがあります。

 

 晩秋の頃である。
 ここは瀬田川の近くにある石山寺。
 その本堂に隣接する部屋に紫式部は座っていた。
 ぼんやりと夕焼けの空を眺めているのだ。
 何もせずに空を眺める日が三日続いた。
 それもいいであろう。
 なにしろ、『源氏物語』を完全に書き終えたのだ。
 事をし終えた満足感に浸りながら、ゆっくり休むのも悪くない。
 最初は、悲しい現実を忘れようとして書き始めた掌編だった。
 だが、書けば面白い。
 女官たちも喜んでくれた。
 それで欲が出て、とうとう壮大な物語となっていった。
 そして、身をすり減らすような日々が続くこととなったのだ。
 中宮彰子までもが物語の続きを待つようになると、もうこれは止めることはできない。
 尋常でない執筆の作業が続いた。
 身も心も疲れ果て、とても筆を握れない、という日でも書き続けた。
 ほとんど地獄の責め苦である。
 それでも、いつかは終わりがくる。
 とうとう書き上げたのである。
 紫式部は、ほっとして硯の脇に筆を置き、書き上げた紙を机に重ねた。
 そして――、
 惚けて空を見続けるのであった。
 三日の間、空を見続けた――。
 三日目の――、入相の声々が聞こえる頃――。
「よろしいかな」
 声をかけて住職が入ってきた。
「あ、これは」
 座り直そうとする紫式部を、住職は手で制した。
「そのまま、そのまま」
「有り難うございます」
「空がきれいじゃのう」
「はい」
「もう、疲れは取れましたか?」
「そうですねぇ……」
「大きな事をなさった後じゃ。ゆっくり養生されるがよい」
 紫式部は、黙って頭を下げた。
「じゃが、養生せよ、と言うのと矛盾するようだが」
「は?」
「どうも、客が参ったようでな」
「客?」
「うむ。会わずにはなるまい。そして、また疲れることになろうかな。儂はいない方がよいだろう」
 住職は、この言葉を残して部屋を出て行った。
 紫式部には、何の事だか分からなかった。
 だが、部屋の奥にその男が座ったとき、すべてが分かった。
 冠に束帯という大将の麗姿をした、輝くばかりの顔つきの男である。
「あなたは……」
 紫式部が、先ず声を出した。
 どうしても先に話しかけなければならない、と紫式部は悟ったのである。
 男は、深くて艶のある声で言った。

 

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