幻創文芸文庫 (β)

小説好きの創作小説を無料配信*スマホ対応

歴史・時代

東京探偵小町 第三十四話「胸の誓い」 <1>

   

「やっぱり俺ァ、納得がいかねェ!」
「何が納得いかないんです? 書生さん」
「なんでェ、藪から棒に」

小説版『東京探偵小町
第十部 ―奪還編―

Illustration:Dite

 

 人間でもない。
 妖魔の類でもない。
 ただの猫でしかない自分に、一体、どれほどのことができるのだろう。体の奥底からはい登ってくる恐怖を持ち前の気丈さで強引にねじ伏せると、虎猫の縞は重々しい石積み塀を見上げた。
 盛りを過ぎ始めたとは言え、そこは猫の身である。
 逸見邸をぐるりと取り囲む石塀によじ登ることも、乗り越えて庭に下り立つことも、さして難しいことではない。だが、縞にはこの石塀の内側に入ることなど、とてもできそうになかった。女中の目がうるさいからではない。この石塀の向こうに、言いようのない恐怖を覚えてしまうからである。
(おお、くわばら、くわばら。癪に障るったらないねえ、どうしてこうも体が震えちまうんだか……地獄の釜をのぞいているわけでもあるまいし)
 声もなくつぶやいて、美しい虎縞の体をぶるりと震わせる。
 縞は長い尻尾を揺らすと、逸見邸のはす向かいに位置する角から、昼間にも関わらずシンと静まり返っている逸見邸を眺めた。逸見邸はその広さに比して人が少なく、歳の離れた逸見兄弟が住んでいるほかは、通いの家政婦が朝夕に門をくぐるだけである。もう半月も時枝を預かりながら、いまだに面会謝絶を貫いているため、時枝の気配すらも感じられなかった。
(小町さん、このおっかない屋敷の離れで、今頃どうしていなさるんだか。ちらとでも、お顔を拝見できないものかねえ)
 逸見邸を横目に行きつ戻りつしながら、そびえる石積み塀を乗り越える勇気を出そうと、怯える心を叱咤する。だが、どうにも脚がすくんでしまい、塀の向こう側へ乗り込めない。この石塀の向こう側で、得体の知れない、何か恐ろしいものが口を開けているような気がしてならないのだ。
(ええ、意気地のない! 初音町の縞と言えば、ちょいと知れた名だったじゃないか。鬼が出るか蛇が出るか、どのみち入ってみなけりゃ、何にもわかりゃしないんだから)
 勇気を振り絞って、縞は小路を横切った。
 現在の飼い主である印度人の青年・サタジットに連れられて、初めて時枝の見舞いに来たときから、縞は逸見邸を恐れていた。門前に近づくだけで、体の奥から恐怖が湧き出してくるのである。それに屈してしまう自分を恥じも悔やみもするものの、サタジットが糊のきいた看護服に身を包んだ女中に門前払いを喰らわされたとき、縞は心のどこかでほっとしていた。
 それほどまでに、逸見邸が恐ろしいのである。
 逸見邸に恐怖を覚えること自体、縞が何かに感づいているというあかしなのだが、今の縞にはそれすらもわからなかった。ただ、こんなところで怯んでいるようでは、覚悟を決めて青藍の頼みを引き受けた意味がない。それだけは、良くわかっていた。
(小町さんが元気になれば、若先生や春子ちゃんたちが、どんなに喜ぶだろう。銀さんだって…………)
 縞の胸に、ニュアージュの面影がよぎる。
 ほんのひと夏のこととは言え、情を交わした相手である。どんなわけがあって青藍を食い殺し、時枝に害をなすのかはわからないが、翡翠の目を持つ歳若い銀猫を、縞は憎み切れないでいた。
(銀さんも、あのお美しい若旦那さまも……小町さんをどうなさるおつもりなんだか)
 ここまでの、不思議な運命の導きを縞は思った。
 幼いと言ってもいいほど若くして嫁いでいく春子を知り、蒼馬に出会い、一時は蒼馬のもとに捕らわれていたものの、時枝の骨折りによって再びの自由を得た。ニュアージュに出会ったのも同じ頃であり、蒼馬に別れを告げるときには、ニュアージュの主人たる美しき魔人に力を借りたのである。

 

-歴史・時代

東京探偵小町 第三十四話「胸の誓い」<全4話> 第1話第2話第3話第4話

コメントを残す

おすすめ作品

アストラジルド~亡国を継ぐ者~アグランド編 第34話「それでも――――」

   2017/11/20

探偵の眼・御影解宗の推理 【嘆きの双子】15

   2017/11/20

ロボット育児日記39

   2017/11/17

忠実な部下たち

   2017/11/17

モモヨ文具店 開店中<36> ~帰り行く者~

   2017/11/16