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歴史・時代

東京探偵小町 第三十四話「胸の誓い」 <3>

   

「望み?」
「おまえの献身を受けながら、今日までずっと考えていたのだよ。わたしは何をもって、おまえに報いれば良いのだろう。望みがあるなら、言ってごらん」

小説版『東京探偵小町
第十部 ―奪還編―

Illustration:Dite

 

 銀の被毛に包まれた体をヒラリと踊らせて、路地裏に入り込む。どこからともなく現れた銀猫は、表の喧騒から逃れるようにして、足取りも軽く路地を進んだ。
(ここに留まったのは正解でしたよね。あんな状態の御主人さまを連れて、遠くまで行けるわけがないんですし…………)
 十二階が富士だとしたら、このあたりはその「裾野」だろう。
 瓢箪池の北側には何本もの新道や横丁が迷路のように入り乱れ、夜ともなれば化粧の濃い女たちがねず鳴きをして、道行く男たちの袖を引く。それが、人々がこの界隈を「十二階下の魔窟」と呼び習わすゆえんだった。
(酔客の多い浅草なら、狩りだってしやすい。あの安普請のぼろ長屋も、多少のことには目をつぶれば、隠れ家にもってこいです)
 帝都屈指の繁華街からほんの少し離れただけで、あたりが薄暗闇に包まれる。やがて銀猫はミヤコ新道と呼ばれるあたりにスイと入り込み、細い小路を迷うことなく、縫うようにたどりはじめた。
 人間がやっとのことですれ違えるほどの路地の両側は、ぴしりと戸の閉まった裏長屋が延々と続いている。ニュアージュはそこで見つけたぼろぼろの空き家を潜伏先とし、瀕死の重傷を負った主君をかくまっていた。
(さあ、落ち着いて、息を整えて……病み上がりの御主人さまに、あんな醜い姿をお見せしないように。御主人さまは、綺麗なものがお好きなんですから)
 古びた板塀が続く路地の片隅で立ち止まり、自身に言い聞かせる。銀猫の目の前に簡素な板戸があるのだが、目くらましの術がかけてあるため、汚れた板壁が続いているようにしか見えない。よくよく目をこらせば隣家との繋がりがおかしいことに気づくのだが、いわゆる悪所と呼ばれるこんな界隈で、そんな些事を気に留める人間など、ひとりもいなかった。
 日本人ならばともかく、異国人である御祇島主従の容姿はとかく人目を引く。しかも片方は全身が膿み爛れ、もう片方は銀髪緑眼の美々しい少年なのだ。近隣の目を欺く工夫は必至だったが、たとえ難しい術ではなくとも、昼夜を分かたず魔力を消耗しつづけるのは、今のニュアージュには酷だった。
(黙りなさい、僕の胸!)
 一向に落ち着く気配のない自分の拍動を叱りつけ、ニュアージュは長い尻尾を振り回した。耳から尻尾の先に至るまで、なめらかな銀毛のみに覆われているはずが、ところどころに藍色の文様が浮き出ている。
 ついに本体のほうにまで、青藍の戒めが及びはじめたらしい。
 おぞましいものでも見たかのように、ニュアージュはぶるりと全身を震わせた。
(やりかたは雑だったかもしれませんけど、狩りは十分にしましたし、体調だって悪くない。これくらいで音を上げるような、そんなひよわな僕ではないはずです!)
 自身を叱り付け、気力を奮い立たせようとするものの、連日の無理が祟っているのを自覚できないニュアージュではなかった。意識して脚に力を入れていなければ、その場にくずおれてしまいそうな瞬間が確かにあるのだ。
 魔にくみする者を総べる「闇の公子」は、小さき者のいじらしいまでの献身をよみして、彼が慕う主君と同じ属性を持たせた。すなわち、他者の血をおのれの糧とし、魔力の源に変じることができるようにしたのである。
 だが、ニュアージュの本体が一匹の猫であることに変わりはない。人間体になったとしても主君を凌駕するほどの魔力はなく、まして毎晩大量の血液を主君に捧げていれば、どれほど手際良く狩りをしようとも、到底、間に合うものではなかった。

 

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