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歴史・時代

ハヤブサ王 第1章 イトイヒメ(1)

   

 あの一夜から五年。ミヤヌシヒメは、メトリノヒメミコを生み落としたのち他界。大王の寵愛は、そのミヤヌシヒメの子どもたちを預かり受け、育てているイトイヒメに移った。
 幸せである。一粒種のワケノミコも儲けた。富も名声もある。だが、なにか物足りないのだ。
 それは…。

 

 イトイヒメは我に返った。その瞬間、己の手を見て、顔が冷たくなった。その手が、女の子の細い首にかかっている。
「わ、私、なにを…」
 慌てて引っ込めた手は、小刻みに震えていた。
 女の子は、何事もなかったように安心しきって寝ている。
 灯火に照らされたイトイヒメの顔は、恐ろしいほど青ざめ、唇はわなわなと震えていた。彼女は、その震えを止めようと、口に手を当てた。知らず知らずのうちに、言い知れぬ感情が湧き上がり、涙が溢れ出ていった。
「ああ、私、いったいなにを考えていたの。この子たちのせいではないのに」
 イトイヒメの目の前には、あどけない子どもの寝顔が三つ。三人は、幸せそうな寝息を立てていた。
 イトイヒメは幸せである。幸せすぎて怖いぐらいである。
 五年前、暗闇の中で一人遊びをしていたときに比べれば、雲泥の差である。
 大王が寵愛していたミヤヌシヒメはいまはいない。彼女は、五年も前に土の人となった。そのあと、イトイヒメは大王の寵愛を一身に受けるようになった。大王との間に、男の子もできた。これ以上、何を望もうか。
 それでも、イトイヒメは物足りなかった。なにかが足りなかった。
 地位、名声…。
 いや、彼女は数多い妃の中では、いまや確たる地位を持っている。大王の后(正妻)はナカヒメであるが、妃(側室)の中ではイトイヒメが確固たる地位を築いている。
 富…。
 多すぎるほどだ。屋敷も大きいし、食卓には豪華な山海の珍味が並ぶことだってある。
 では、なにが物足りないのか。
「愛…」
 そうである。イトイヒメには、それしか思い浮かばなかった。
 愛が足りないのである。
 いや、愛されていると思う。ミヤヌシヒメが亡くなってから、大王はイトイヒメの屋敷で夜を過ごすことが多い。大王の放つ雄の体臭と熱い肌。激しくも、優しい愛撫に女の悦びを感じている。
 我が子を抱く大王の嬉しそうな姿に、喜びを噛み締めることだったある。
 だが、なぜか物足りないのだ。
(私、愛されていないのでは?)
 そう思うことも多々ある。
 なぜだか分からない。だが、不思議とそんな思いが湧き上がり、胸を締め付ける。
 それが、胸の中にだけ納まっていればそれでいい。だが最近、その思いが爆発しそうになる。鬱積した思いを処理しきれずに、己の髪をただ我武者羅に掻き乱したり、服を引き裂いたりすることだったある。そして、いまのように、衝動的に子どもの首に手をやることだってあるのだ。
 衝動的である。
 本当に衝動的だ。子どもを殺すなんて、そんな恐ろしいこと…。だが、もしかしたら…。
「そんな、そんなこと…」
 己の思いを断ち切ろうと首を左右に振ると、雫がぼたり、ぼたりと大きな音を立てって床に落ちた。
 理由は分かっている。この子なのだ。いや、この子たちなのだ。目の前で、気の良さそうに寝息を立てている。二人の女の子と、もう一人、寝室で休んでいる一人の少年のせいなのだ。
 この子たちが、あまりにもミヤヌシヒメに似ているから。

 

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