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歴史・時代

東京探偵小町 第三十五話「君の枕辺」 <1>

   

「こいつは、おめェが持っててくれ」
「これは……お嬢さんの十字架じゃないですか!」
「なんでか知らねェけどよ、瑠璃瓢箪の籠に入ってたンでェ」

小説版『東京探偵小町
第十一部 ―紅蓮編―

Illustration:Dite

 

 赤坂見附の乗換場からほど近い、逸見邸近くの路上で行き会った瞬間――倫太郎と和豪は照れ隠しにも似た苦笑を浮かべた。相手の姿がここに在ることに安堵感を覚え、それを自覚したからこその、小さな笑いだった。
「なんでェ、おめェも来たのかよ」
「和豪くんがなかなか帰って来ないので……ひょっとしたらと」
 木刀を担いだまま、和豪が器用に肩をすくめてみせる。
 倫太郎は苦笑を微笑に変えながら、時に弟のようでもある相棒を見つめ、次いで視線を巡らせて逸見邸に目をやった。
 夏の陽はすでに落ち、あたりには宵闇が迫っている。
 和洋折衷な逸見邸の二階に、ひとつだけあかりが灯っているのはリヒトの部屋だろうか。二青年は何も言わずに、そのほのあかりを見つめた。
 かつての武家屋敷を思わせる高々とした石積み塀にさえぎられ、二青年の立つ路地からは、時枝の起き伏しする離れは影もかたちも見えない。それでも、こうして逸見邸の前に立つと、時枝の息遣いだけは感じられるような気がするから不思議だった。
 息遣いどころか、ひとり病床で涙に暮れているように思えて仕方ない。時枝の顔こそ見ていないものの、言葉だけは欠かさずに交わしている倫太郎は、特にその思いが強かった。
(お嬢さん…………)
(いいかげん、倫太郎に顔を見せてやれッてンだ)
 二青年は無言で逸見邸の門前まで歩みを進めると、呼吸を合わせるかのように立ち止まった。この屋敷に漂う威圧感に屈することのないよう、互いに表情を引き締めてうなずき合う。
 逸見の口調には、いつも元軍人らしい強さがあった。
 相手に有無を言わせない、凄みのようなものがあるのだ。
 その口調で、時に叱るように、時に諭すように言われると、正論だけに黙ってうなずくしかなくなってしまう。亡き朱門も似たような話しかたをすることが多かったが、朱門はあくまでも相手の気持ちに寄り添っていた。妥協の余地を残し、相手の甘えを許していた。逸見には、それがないのだ。
 とは言え、逸見は決して悪い人間ではない。
 悪いどころか、常に最善を考えてくれている。
 それを理解していても、違和感を覚えてしまうのはなぜなのか。
 倫太郎と違い、逸見と接する機会の少ない和豪は、特にそうした意識が強かった。半人前扱いに拗ねて、意固地になっているわけではない。本能的な警戒心とも呼ぶべきものが、胸の奥底に巣食っているからだった。
 自分たちの事務所に女手がないことも、心身ともに疲弊しきった今の時枝に適切な看護が必要なことも承知している。時枝がシズと呼ばれる初老の元看護婦から、自分の娘のように親切にされていることも聞き知っている。それでもなお、時枝を逸見に預けておいて良いとは思えないのだ。
 このままでは日毎に時枝との溝が深まり、距離が広がり、しまいには取り返しのつかないことになってしまうのではないか。倫太郎も恐らくは自分と似たような思いを抱いているのだろうと、和豪は隣に立つ兄のような相棒に目をやった。
「和豪くん」
 逸見邸の門前に立ち、倫太郎も和豪に視線を向ける。
 和豪は「なんでェ」と返し、倫太郎の言葉の続きを待った。
「この半月で――七月に入ってからのたったの半月で、僕らとお嬢さんとのあいだに、深い溝ができてしまったと思いませんか」
「ギリギリのとこで手が届かねェ、妙な間合いがあるってンだろ。間合いなんてのは、おかしな言いかたかもしれねェけどよ」
「いいえ、良くわかります。僕はその隙間を埋めたいんです。何としても」

 

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