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歴史・時代

東京探偵小町 第三十五話「君の枕辺」 <3>

   

「実は今、応接室に内山くんと滝本くんが来ている。その洋花を持って来たのは滝本くんだ。君の枕辺に捧げたいと」
「わごちゃんが…………」

小説版『東京探偵小町
第十一部 ―紅蓮編―

Illustration:Dite

 

 部屋の片隅に置かれた机の上で、洋灯が小さな光を放っている。
 あかりを最小限にまで絞った常夜灯がわりの角灯は、この室内と同じく、余計な装飾がひとつもない。この半月間ですっかり見慣れてしまった暗い部屋のなかで、時枝はぼんやりと天井を見つめていた。
「リヒトくんに……悪いことをしちゃったわ……………………」
 声に出してつぶやきながら、時枝は薬によって眠りに落ちる前に起こった出来事を――リヒトの確かな優しさを、ひとつずつ数えるように思い出した。
 夕食の献立を考え、シズの代わりに運んできてくれたこと。
 少しでもいいから食べるようにと、厳しく言ってくれたこと。
 永原時枝は、紛れもない永原朱門の娘だと認めてくれたこと。
 どれもこれも涙が出るほど嬉しかったのに、リヒトは無断で離れに立ち入ったことを、義兄の逸見からひどく叱られていた。それだけではない。時枝は結局、リヒトが考えてくれた亡き輝彦ゆかりの献立を、ひとさじも口にすることができなかったのである。それが今は辛かった。
「あたしのせいで叱られて……ごめんなさい、リヒトくん」
 ここにいるだけで、リヒトにまで迷惑をかけてしまう。
 それが切なくて、時枝は血の気の失せた両手で顔を覆った。
 常夜灯の瞬きさえもさえぎった時枝の目の前に現れたのは、冬の湖を思わせる青い瞳に、いつもどこか悲しそうな色を浮かべているリヒトの面影だった。
『食べるんだ、永原』
『このままでは、この部屋から出られない』
 ほんのひと口ばかりの雑炊をすくった散蓮華を手に、わがままな子供をあやすように言ってくれた言葉が時枝の耳に蘇る。時枝は顔の上からそっと手を離し、少しでも気持ちを明るくしようと、ほのかに揺れる角灯に目をやった。
 とても頼りない、小さなあかりが目に染みる。
 まぶたを伏せてしまいたくなる衝動をこらえて、時枝はなおも、角灯のあかりを見つめた。ややあって目が慣れると、かすかなともしびが灯台のように見えて、だだ重苦しいだけだった胸のあたりが少しだけ軽くなった。
(もう少し……明るくしてみようかしらん)
 寝台に横たわり、ただ安静にしているだけの日々を過ごしているせいか、この頃の時枝は昼夜が逆転しつつあった。明らかな覚醒ではなく、ぼんやりとした夢うつつの状態で天井を見つめているだけなのだが、今夜は不思議と目も意識も冴えている。ためらいを振り切って体を起こし、時枝はそろそろと寝台から抜け出した。
 窓も扉も締め切っているのに夏の暑さを感じない、どろりとよどんだ空気のなか、光を求めておずおずと歩く。板敷きの床にも関わらず、羽根布団の上を歩いているような奇妙な浮遊感があるのは、このところの栄養不足が祟っているのだろうか。
 やがて机の前に立った時枝は、椅子の背もたれに手を置き、橙色のあかりを静かに見つめた。暖かなあかりに、心が少しずつほぐれていくのがわかる。油の匂いがかすかに漂うなか、時枝はそっと芯レバーを動かした。芯が伸びるに従って灯が大きくなり、そのまばゆい光に惹かれるようにして、いつしか時枝は角灯をあかあかと灯していた。
「きれい…………」
 間近ではまぶしすぎるような気がして、机の前から離れる。
 時枝は寝台にそっと腰掛け、久しぶりの明るい光に目を細めた。それと同時に、自分がこんなにも「光」に飢えていたことに初めて気づき、今日までの日々を振り返った。

 

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