幻創文芸文庫 (β)

小説好きの創作小説を無料配信*スマホ対応

ノンジャンル

最終刻限(後)

   

必死でサンドバッグを叩き、状況の好転を祈る鹿島たち。限界ギリギリの焦燥感の中で生じるあつれきとも戦いながら、奇跡を待ち続けるが、時計の針はタイムリミットである午後三時を指す。

絶望感に打ちのめされそうになった鹿島たちのもとに現われたのは……?

 

どん、ずしんっ。

 単発の重い音が、ジム内に響く。
 何度も、何度も。
 誰かが休みを取るためにいなくなると、別の誰かがペースを速め、誰かの動きが素早くなると、別の誰かの動きがゆっくりになる。
 示し合わせたわけではないのに、まったく同じペースで、打撃音が鳴り続けた。
 言葉を交わす人間は誰もいない。
 しかし、全員が同じ気持ちを抱いている。
 雨を吹き飛ばすために、ありったけの体力と気力を注ぎ込んでいる。
 室内に立ち込める熱気で、フロアのガラスが完全に曇り、外の様子が見えなくなった。
 つまり俺たちは、音だけではなく視覚的にも、忌々しい雨を「追い出した」ということになるだろうか。
「サンドバッグ打ちの方は、俺たちが請け負いますから、先輩方は休んでいて下さい。何たって、試合が控えてますからね」
 打撃を加えながら、俺は武藤先輩たちに声をかけた。先輩と藤川さんは同時に頷き、それぞれ背を向け合って、柔軟運動に取りかかり始めた。
 二人とも、完全に試合モードに入っていて、目を合わせるのも怖いぐらいだが、不思議と気負いは感じない。究極の集中を発揮していると、こんな感じになるのかも知れない。

トゥルルルルル……

 喉の渇きを覚えて、冷蔵庫から水を取りにいこうとしたその瞬間、電話が鳴った。
 全員の視線が電話機に集中する。
 俺が位置的に一番近かったので、スルーすることもできず受話器を取ると、かつて何度か聞いたような声が響いてきた。
「ああ、良かった。取ってくれたか。……今さら、ぐだぐたと言い訳をしても仕方がないので、結論から言わせて貰う。今日試合が行われる予定だったX市総合体育館だが、駄目になった」
「なっ、何を……っ」
「使えなくなってしまったということだ。電気系統が雨と雷で全部やられて、試合をやるどころじゃなくなってしまったんだ。たった今、私のところに連絡が来たよ。さすがに、運営側からの限界宣言には、『寝ている』わけにもいかん」
「そっ、そんなっ! 修復はっ、試合までに修復はできないんですか!?」
 俺は名乗りもせず、先ほどの寺田会長と同じような叫びを上げていた。
 しかし、電話の向こうの声は、苦り切りながらも、プロとしての冷静さを保ち続けたまま、こちらに事実を伝えてきた。
「無理、だ。いくら何でも試合までの間が無さ過ぎる。それに、規模も大きい。雨が止んだら警察や消防が入ることになるだろう。普通に考えて、向こう一週間以上は、施設の復旧と営業再開は不可能だ。君たちの事情は知っているが、これはどうにもならん。いいか、ヤケを起こして、体育館に乗り込んだりはするなよ。危険過ぎるし、職員もいない。繰り返すが、ヤケを起こさんでくれ。大人しく、ジムの中で待っているんだ。いいなっ。三時まで待ってくれ。何かあれば、その時までに連絡をよこす……」
 反論する間もなく、電話は切れた。
 俺も向こうも、名前すら言わなかったが、その重厚な声色は、紛れもなく、かつての世界チャンピオン、関口のものに違いなかった。
 と、なると、この連絡は、ボクシング業界の総意ということになるのだろう。俺の力じゃ、どうにも覆しようがなさそうだった。
「お、おおいっ! どうなったっ!?」
 血相を変え、寺田会長が叫んだ。
 武藤先輩はトレーナーたちも、真剣極まる目付きで、俺の方を凝視している。
 気休めなど、言えるような状況ではない。まして、嘘などついたら、後から袋叩きにされてしまうだろう。
「え、ええ、実は……」
 やむなく俺が真実を口にすると、室内の空気は一挙に重くなった。
 誰も何を言うわけでもなく、態度に見せるわけでもないが、全員の感情は痛いほど伝わってくる。
(くそっ、くそっ!)
 俺は、悪態をつく代わりに、サンドバッグに向かって走り、思い切りパンチを叩き込んで叫んだ。
「違うっ! まだ終わってねえんだっ! 諦めちゃダメなんだよっ!」
「おっ、おうっ!」
 ジムに詰めた一同は、気を取り直して、というより、必死に、意思を保とうと、声を張り上げ、再びサンドバッグを打ち始めた。

 

-ノンジャンル

最終刻限<全3話> 第1話第2話第3話

コメントを残す

おすすめ作品