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歴史・時代

東京探偵小町 第三十六話「赤い祭壇」 <3>

   

「時枝嬢は君の花だと聞き、喜びと懐かしさから無邪気に手をのばしたのだ。ほかに何を育てている」
「前庭に植えた赤紅の薔薇で良けりゃ、秋まで順繰りに咲いてらァ」

小説版『東京探偵小町
第十一部 ―紅蓮編―

Illustration:Dite

 

 自分はどうして、大人に対して意固地になってしまうのだろう。血痕の残る包帯を隠すかのように、逸見が二の腕までまくり上げた白衣の袖を手早く直す。その様子を見つめながら、和豪は薄暗闇のなかでくちびるを強く噛みしめた。
 親身になって良くしてくれる相手だとわかっていても、気付いたときには、もう突っかかっている。ありがたいと思いながら憎まれ口を叩き、拗ねた態度を取ってしまうのだ。時枝のためにここまでしてくれる逸見に対して、礼のひとつも満足に言えない自分が情けなく、和豪は自分自身を殴りつけたいような気分になっていた。
(クソッ! いっつも偉そうにしてンのが癪だけどよ、こうなりゃ道源寺のオッサン以上じゃねェか。だのに俺ァ何だって、こんなに虫が好かねェと思っちまうんだ)
 顔を真っ青にして謝る倫太郎に、逸見は「主治医として、後見人として当然のことをしたまでだ」と言っていたが、誰にでもできることではないだろう。時枝の眠る寝台の敷布は二枚重ねで、下部の敷布に、二日おきに少しずつ自分の血を染み込ませているというのだ。身内でもない者が、使命感だけでできることではなかった。
 しかも、逸見が抱えているのは時枝ひとりではない。
 人間離れしてしまった義弟のリヒトにも、日常的に自分の体力を分け与えているのである。はるかシベリアまで出征した元陸軍医として、見た目以上に強靭な肉体と精神を持っているとしても、負担にならないわけがなかった。
(そういや、前の大将が言ってたっけな。借りを作るのは悪ィことじゃねェ、金と恩は借りられるときに借りとけってな。畜生、借りなんざ作ったって、胸クソ悪ィだけじゃねェかよ)
 こうして倫太郎と共に無理にでも訪ねなければ、逸見はすべてをひとりで背負うつもりだったのだろう。嘘も方便とばかりに、身内には「暴漢に襲われた」と告げ、みどりや蒼馬には「チフスに罹患した」と言って、時枝がリヒトのようになるまで――型通りに落ち着くまで、黙って処置を続けるつもりだったのだ。
 朱門の死に深い自責の念を覚えるからこそ、時枝に尽くさずにはいられない。その思いは、自分たちとまるで同じである。だが、本当にそれだけだろうかと、和豪は前を行く白衣の背中を見つめた。
(まさかとは思うけどよ……まさか、こいつ大将のこと)
 逸見の年齢など知る由もないが、時枝とは干支ひと回りでは効かないほどの歳の差があるだろう。だが、男が女を好ましく思うのに歳の差など関係あろうはずがない。たとえ相手がまだ肩揚げの取れない女学生であったとしても、独り身であれば、単なる後見人以上の好意が芽生えてもおかしくはないのだ。
 実際、倫太郎よりも年かさの柏田や、三十路を迎えたはずのサタジットまでが、時枝に明らかな好意を寄せているのである。それどころか、時枝への思慕の念が行き過ぎて妄執に変わり、みずからの命を縮めてしまった少女までいるのだ。
(その上、アヴェルスの野郎にまで狙われてンだからな。ったく、どうなってやがンでェ、うちの大将は)
 胸の内で毒づいた瞬間、和豪はこの不快な苛立ちが単なる妬みでしかないことに気付いた。結局のところ、自分はおろか倫太郎にもできなかったことをやってのけた逸見が、妬ましくて仕方ないのである。今の時枝について誰よりも理解しているのが、時枝から最も遠い場所にいたはずの逸見であるという現実が、わけもなく腹立たしいのだ。
 朱門の助手として過ごす日々のなかで培われた幅広い知識があり、大抵のことはそつなくこなせる倫太郎でも、今回のことだけはどうにもならなかったに違いない。ふたり揃っていながら苦しむ時枝に何もしてやれず、人ならざる者に変わっていくのを、手をこまねいて見ているしかなかったのだ。

 

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