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歴史・時代

東京探偵小町 第三十六話「赤い祭壇」 <4>

   

(どうか時枝さまと紫月さまの御病気が、一日も早く治りますように)
 細紐を通したメダルを手のひらにのせ、胸に抱きしめて祈るみどりの目に、瞬く間に涙の粒が盛り上がる。

小説版『東京探偵小町
第十一部 ―紅蓮編―

Illustration:Dite

 

「日比谷公園に、音楽堂?」
「ええ。先週、できたばかりですの」
 松浦邸で働く若い女中たちと同じ、胸当てつきの白いエプロンをつけたみどりが、蒼馬の額にのせられた手拭いを取り替えながら答える。乳母のフキが用意したエプロンの下に、通学用の花模様の夏銘仙をまとったみどりは、寂しいほどに清らかな帝大附属医院の病室にあって、そこだけ野の花が咲いたように美しかった。
「わたくしの父と母も、開堂式の記念演奏会に招かれましたわ」
「ふぅん……新しいもの、いろいろできてるんだ」
「今度、御一緒に参りましょう。時枝さまや、皆さまと御一緒に」
 いかにも当世の女学生らしい、大振りのモダンな柄行を好む時枝とは異なり、みどりは銘仙であっても小紋風の優しい色柄を好んだ。それらは控えめで奥ゆかしいみどりに良く似合い、明るく華やかな時枝と並ぶと、実に可憐な対照を成すのだった。
「あ、手拭い、もういいよ」
「では、汗だけお拭きしますわね」
 優しく微笑み、小さな看護婦となって世話を焼く。
 それほど多くの言葉を交わすわけではないものの、この半月で、ふたりは古くからの顔なじみのように親しくなっていた。時枝不在の心もとなさを、共に過ごすことで埋めようとしているのかもしれなかった。
「今日は朝からずっと調子がいいんだ。息も苦しくないし」
「ええ。お顔の色も、一段とよろしくて」
「そうかな。やっと暑さに慣れたのかも」
「あとは退院の日を待つだけですわね」
 それには応えず、諦め半分の苦笑を浮かべた蒼馬が、枕元に置かれた水晶文鎮に手を伸ばす。そして角度を少しずつ変えながら、飽きることなく眺めはじめた。
 病める体に梅雨寒と時枝の件が響いたのか、悪化の一途をたどっていた蒼馬の容体は、ここに来てようやく持ち直していた。周囲の励ましはもちろん、一度は手放した愛猫が、飼い主となった春子の厚意で戻されたことが大きかったのだろう。無論、柏田からもたらされた水晶文鎮も、良き慰め役になっていた。
 緑泥石や角閃石などの不純物が入り混じった水晶は、蒼馬が庭園のようだと評した通り、光にかざすと緑豊かな風景が見えてくる。特に蒼馬の目には生まれ故郷の森に映るらしく、よほど気に入ったのか、いつも枕元に置きっぱなしにしてあるのだった。
「もうすぐ、尾崎先生のいらっしゃる時間ですわね。今日はお熱もないようですし、きっと、外泊のお許しが頂けますわ」
「あの、そのことなんだけど」
 水晶文鎮を握ったまま、蒼馬がみどりのほうにちらりと目をやる。買い物に出掛けたトミの後を引き受けて、ひとり分の洗濯物を戸棚にしまったみどりは、微笑をたたえて蒼馬の言葉を待った。
「いろいろ親切にしてくれるのはありがたいんだけど……やっぱり悪いよ、そんな面倒をかけるなんてさ。おとみさんは『男爵さまのお宅に上がらせてもらえる』なんて言って、勝手にはしゃいでいるみたいだけど」
「面倒だなんて……いいえ、そんなことは決して。はしゃいでいるのは、むしろ、わたくしの母のほうですわ。お庭のお茶室がやっと役に立つと言って、ばあやと一緒になって張り切って」
 エプロンを外して寝台近くの椅子に腰掛けたみどりは、柔らかな微笑と共に、松浦家の盛り上がりぶりを蒼馬に伝えた。「来年の夏はみんなで信州へ行きましょう」というみどりの提案を、蒼馬はその場の冗談として受け取っていたものの、松浦家の面々は本気だった。子供たちの願いをなんとか叶えてやろうと、予定を大きく変更させながら準備を始めていたのである。
 それは松浦邸の茶室を信州の別荘に見立て、せめて気分だけは涼やかに、「避暑地ごっこ」をして遊ぶというものだった。蒼馬のみならず時枝も病床についていることから、みどりの母親である男爵夫人が、今夏の信州避暑はとても無理だろうと判断したのである。

 

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