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ノンジャンル

黒いゴールライン

   

実業団に所属する力はあるものの、トップに立てるわけではないランナーである船橋 孝太は、生来のギャンブル好きがたたり、借金に苦しんでいた。会社の方針もあり、私生活の問題を理由に、実業団から追い出されそうな状況でもあった。もしクビなれば、船橋は、一流企業の正社員という立場と陸上選手生命をいっぺんに失ってしまう。

困り果てていると、身なりの整った、サングラスをかけた男たちの集団が現れる。彼らは、船橋を車に乗せると、「次の大会で、日本代表候補である竜崎 健を倒せ」という陰謀を持ちかけてきた。もしそれが達成できたら、借金は帳消しにしてくれるのだという。

実業団に居残る条件としても竜崎への勝利が必須であり、かつ、個人的にも竜崎に恨みを抱いている船橋は、勢い込んでその話を受け入れた。

船橋が、圧倒的に力が勝る竜崎を追い落とすために用意した「秘策」の数々とは……?

 

 船橋 孝太は、重い足取りで本社ビルを後にした。
 体中に残るずしりとした疲れはいつものことだが、今日に限っては爽快感とは無縁だ。
 大きな体でジャージ姿の男が会社のオフィスから出てきたのだから、必然的に周囲のサラリーマンたちからの注目を集めることになるが、背筋を伸ばして歩くだけの気力もない。
 また、強がったところで状況が好転するとも思えなかった。
「はあ……」
 口から無意識について出るため息の感覚で、余計にみじめな気分になっていく。
 いや、みじめなのは気分ではなく、自分の境遇なのだと、今日ばかりは思わずにいられない。

「ク、クビ、ですって!?」
 地元の有力中堅企業である「月形精機」の陸上部に所属する船橋は、その日、珍しく本社に呼ばれた。
 長年の働きが認められて、昇進させてくれるのかと、希望を抱いて社長室に入っていった船橋を待っていたのは、非情な宣告だった。
「契約解除と言ってくれたまえ。何せ君は正社員ではなく、契約社員なのだからね」
 二年前、先代の後を継ぎ社長に就任した、月形 司郎は、三十代後半にしては張りのない、青白い顔に冷え冷えとした笑みを浮かべて言った。
「まあ、仕方がないことだろう。君ももう、三十を過ぎた。社会人としてはともかく、陸上、それも短距離の選手としては『年寄り』だ。大きな上積みは望めない。そして君のタイムでは、国際大会はもちろん、全日本選手権での活躍も難しい。置いておくメリットが見つからないんだよ」
 月形は、実に淡々と事実だけを述べてきた。
 船橋は、言い返すことができなかった。
 実際、船橋は、「プロ」、いわゆる専業の実業団選手としては、一流のランクにあるとは言えない。
 今年で三十一歳になった船橋は、スプリンターである。
 百メートルから二百メートル、ハードルまでこなすが、本業は百メートルだ。
 ただ、最近、その百メートルのタイムが芳しくない。最近は、十秒七から八あたりをうろうろしているような状況で、国際大会にはとても出られないし、大きな大会で表彰台に上るのも厳しい。
 もちろん、一般人や市民アスリートと比べれば圧倒的に速いが、プロとしてセールスポイントになるほどではない。
 元々不器用でもあるので、跳躍系の種目や、十種競技のような複合系への転向も難しいという状況もある。
「いや、しかし、俺はまだやれますっ。竜崎とだって、大学の頃は五分以上に渡り合えてたんですよ。まだ、伸びしろは……」
「私はね、希望的観測を聞くために君を呼んだんじゃないんだよ」
 弱みを理解しているからこそ必死に食い下がろうとした船橋に、月形はぴしゃりと言葉を叩き付けてきた。
 感情の揺れはまったく見えないが、だからこそ、説得する余地はないように思える。

 

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