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歴史・時代

東京探偵小町 第三十七話「仇討の夜」 <4>

   

「あなたの勇気とまごころは、この美しい銀のメダイと共に、わたしがたしかに預かりましょう。何もかもが片付くまで、あなたはこちらで待っていらっしゃい」
「はい、先生」

小説版『東京探偵小町
第十一部 ―紅蓮編―

Illustration:Dite

 

「どこだァ…………」
 黒塗りの天井から聞こえてくる、とても人間のものとは思えない不気味なしわがれ声。それを耳にした瞬間、みどりは全身から血の気が引くのを感じた。
 これまでに何度も、「怖い」と思ったことはある。
 幼い頃から気弱な性質で、夜の暗闇も怖ければ、雷も怖かった。だが、何かをどうしようもなく「恐ろしい」と感じたのはこれが初めてである。指先が冷え切り、体の奥底から震えが込み上げ、声も出ない。それは隣に座る蒼馬も同じなのか、真っ青な顔でみどりの手を握り締めていた。
「どこにいるゥ……あの娘はどこだァ…………!」
 ほんの数秒の、けれど異様に長く感じた静寂の直後――遠くから柏田の声が聞こえ、続いて道源寺の怒号が響いた。
「ワリーくん、伏せろ!」
 車内の誰もが初めて耳にする、何かが鋭く弾けるような音。
 それが銃撃音だと気付いたのは、激動の「御一新」を知る家令の樋口だった。遠い記憶が蘇るなか、二発目の銃声が響き、頭上で不明瞭な叫びがとどろく。やがて松浦家の自動車の屋根に降り立った男は、サタジットがとっさに抜いたかんざしの煌めきに目を付け、およそ文明人とは思えない、獣じみた体勢でつかみ掛かった。
「うぅるせえぇぇぇ、おまえらに用はねぇぇぇぇ!!」
「タジさん、まけませんヨ!」
 男にかんざしの切っ先を向けながら、サタジットがどうにか男を引きはがそうともがく。何がそんなに気に入ったのか、今夏のサタジットはさざ波のような黒髪を女物の櫛やかんざしでまとめることが多かった。その二本軸のかんざしを間に合わせの武器に、非力を承知で戦いを挑んだのである。
「ささったら、イタイです!」
「黙れェ!!」
 狂える男はサタジットの振りかざすかんざしを避けもせず、手のひらで受け止めた。予想外の行動に思わずひるんだサタジットに、男が砕けよとばかりに猛烈な頭突きを食らわせる。サタジットは額から血を流して倒れ、男は自分の右手に突き刺さったかんざしを無造作に投げ捨てた。
「サタジットさまぁっ!!」
「ミドリ、さん……にげ…………!」
「邪魔をするなあぁ、俺を殺せねェのなら、邪魔をするなぁぁ!!」
「がはっ」
 起き上がろうとひざを着いたのもつかのま、今度は思い切り蹴り飛ばされたサタジットが、逸見邸の石積み塀に容赦なく叩きつけられる。壊れた人形のようにくずおれるサタジットの姿と、みどりの悲鳴に我に返った樋口は、七十近い老体にも関わらず助手席から飛び降りた。
「村井、早く自動車を!」
「まただ! また動かねぇんです!」
 柏田同様、若さゆえに運転手に抜擢され、先ごろ運転免許を取ったばかりの青年が悲鳴にも似た声を上げる。ハンドルを握り締め、半狂乱で自動車を発進させようとするものの、何をどう動かしても男爵自慢の赤い自動車は微動だにしなかった。
「お嬢さま、もうすぐです! もうすぐ動きますから!」
 松浦男爵が買い入れた赤い自動車は、花菱造船が製造した国産の自動車だった。試作を含めて二十台以上が世に送り出され、日本初の量産車として注目を集めた逸品である。その漆塗りの後部座席に納まっているのは、運転手の村井が少年時代から仕えてきた、松浦家の大切な一粒種だった。
「お嬢さま、安心して下せぇ! 絶対に動かしてみせますから!」
 命に代えても守らなければと思うのに、午後から調子の悪い内燃機関がまたもや故障したのだろうか。今やみどりたちを乗せた赤い自動車は、前方を照らすアセチレン灯だけが煌々と灯る、ただの大きな鋼の箱と化していた。

 

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東京探偵小町 第三十七話「仇討の夜」<全4話> 第1話第2話第3話第4話
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