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歴史・時代

水無月の惜別<上> —妻と夫の関ケ原 第二部—

   

丹後宮津城の主、細川忠興。戦を嫌う学者肌の父・幽斎とは違い、今度の戦でも戦功を立てたいと積極的である。
しかし、敵に狙われるだろう父との別れを思うとさすがにつらい。まして、愛する妻、お玉との別れとなると……。
もっとも、彼の妻に対する「愛」とは他から見ると多少いびつな「愛」かもしれないのだが――。

 

 話は前回からやや遡る。
 細川幽斎(俗名・藤孝)が、家康の上杉討伐の命を聞きつけたのは、自らの隠居城である丹後の田辺城でであった。
 田辺城は古来よりの名勝、天橋立にも近い。歌詠みの幽斎にとっては格好の隠居地だった。
 城からも見える、その歌枕の地。その地を眺めながら、幽斎は中央の情勢を聞いた。
 空は晴れ渡っており、まるで本当に天津原に橋をかけたような雄大な眺めが一望できていた。そういう日は一段と気分がいいはずだが、しかし、今日だけは違った。

 太閤が亡くなってから、まだ二年が過ぎたばかりでまた戦かと、幽斎はその報せを聞いてまずそう思わざるをえなかった。
 できることなれば、故・右大臣(織田信長)にいただき太閤に安堵されたこの丹後の地で、書を繙き、歌学を講じながら平和に一生を終えたかった。
 幕府の第十三代将軍だった足利義輝公を主君として仰いだことから始った武家としての生活も、もう四〇年を越えている。
 幽斎自身は戦場を駆け回ることはもう絶えてなくなったが、それでも息子のため、弟子のため平和が一番だと思う気持ちにかわりはない。平和なくして、自分の学問はあり得ない。平和でなければ、気持ちに余裕が出来ない。気持ちに余裕がなければ、物事に感動する気持ちは芽生えない。和歌の「弱さ」を、幽斎は常々思い知らされてきた。
「敵は会津の上杉か。もし噂が本当なら石田治部をも敵に回さねばならぬわけか。あまり好ましいことではないな」
 出陣を間近に控えた息子に、こう愚痴の一つも言いたくなるのは老いのせいばかりではない。夕刻、館の奥まった一室で、誰にも聞こえることのない、うち解けた会話である。
「それでも傍観が許されないのが、我々の悲しきところじゃな」
「ははは、そうはいっても父上、これは我々にとっても内大臣殿に手柄を見せつけるまたとない好機ではございませぬか」
 息子の忠興は当年三十八。血気盛んな年頃である。しかも家康には今年二月に六万石の加増を受けたという恩がある。
「この戦で武功をあげれば、我々もこのような狭い丹後一国で終わるということはよもやあり得ますまい」
「いいではないか、丹後一国でも。もう既に天下云々の時代ではあるまい。広い領土を治めることに何の意義があるというのだ?」
 忠興は変な顔をした。
「広い領土を治め、たくさんの家来を付き従えることこそ武家の喜びではございませぬか。それでこそ、我らが細川の先祖も喜ばれましょう。失礼ながら、父上は歌に凝っていらっしゃる。拙者が歌などにうつつを抜かさぬのは、そのようにひねこびた考えを起こしたくないからでござりまする」
「前にも同じようなことを聞いたがの、まあ、いい」
「歌は、我々の心を軟弱にするものと心得まする。風景、人恋ゆる想い、そのような軟弱なものを相手にするのは、恐れながら、男子のすることではないかと存知まする。
 父上ならばご存じかと思いまするが、平安の貴族連が我々武家に駆逐されたのは、そのような実際的でない、しかも弱々しいものに日々の関心を向けていたからに他ならぬ、かように拙者は考えます」
 これまでも彼ら親子の間で何度か交わされた会話であった。忠興も歌については批判的な意見を述べるものの、茶の湯に関しては当代随一の茶人である千利休の直弟子でもあり、利休七哲に数えるほどの上手であった。幽斎の子だけあって全くの無骨者ではない。そのことを知っているから、幽斎もあまり息子を批判することはなかった。
「お前の言うことは間違ってはおらん。私も戦には歌はいらぬと思う。私も若き時分は歌を何度も捨てようと思うた。よって、お前にも歌を習えとは言わん。目の前の戦に、細川家のために力を尽くしてくれれば、私は嬉しい。私も当家のために、お前の留守はしっかりと守るつもりじゃ」
「よろしく、ご守備いただきたく存じます。ところで、兵はいかほど残していくべきでございましょうや」
「五百もあれば十分だ」
 冷静に言い放った父親の顔を、忠興は驚きで見つめた。夜のとばりがそろそろ静かにおり始めた五つ(午後八時)のことで、夏のこととはいえあたりは暗くなりつつある。燭台もまだ用意されていなく、はっきりとお互いの顔が見えるわけではない。けれども、父の顔が真剣であることだけはその雰囲気からも分かった。
 しかし、念のため忠興は問うた。いつ石田の軍勢が押し寄せるか分からぬ状況下で、兵五百という人数は問わねばならぬ数であった。

 

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