幻創文芸文庫 (β)

小説好きの創作小説を無料配信*スマホ対応

歴史・時代

東京探偵小町 第三十九話「星ひかる」 <1>

   

「君は誰だ、ワリーくんの友人か。腕が立つのか、立つようだな、ならば頼みがある。わたしを殺してくれ、今すぐに!」
「へッ、それがてめェの、命乞いの猿芝居かよ」
「命乞いではない、頼む、殺してくれ」

小説版『東京探偵小町
第十二部 ―探偵編―

Illustration:Dite

 

 人殺しを強いられる時枝の悲痛な叫びは、血と砂の味を噛み締めるサタジットの耳にも届いていた。時枝はおろか、その身を人間に変えてまで九段坂の面々に力を貸そうとする虎猫を守ってやることもできず、サタジットは無力感に苛まれていた。
(ドクター……どうして……………………)
 もとよりサタジットは、腕の立つほうではない。
 殴り合うよりは、うまくかわしてすり抜けるか、いっそ最初からおどけて見せるほうが得意で、そうやって平坦とは言えない人生を歩んで来たのである。それでも、自分がここまで非力だとは思わなかったサタジットは、「まったく太刀打ちならない」という現実に打ちのめされていた。
(どうして、ですか…………)
 新橋事件の犯人によって痛めつけられた体が言うことを聞かず、立ち上がることすらできないなかで、サタジットは一秒ごとに逸見に対する疑念を深めていた。
 この男は本当に、「逸見晃彦」だろうか。
 自分の良く知っている、あの弟思いの元軍医なのだろうか。
 学生時代からの長きに渡る軍人生活によるものか、逸見晃彦には自他共に厳しい面があったものの、その胸には冷徹とはほど遠い、誰よりも温かい心があった。歳の離れた弟を熱病で亡くした後は、まるで医者でありながら何もできなかった自分を罰するかのように、シベリア出征に志願したくらいなのである。
 そんな逸見でも、凍てついた最前線での壮絶な体験が響いたのだろうか。軍医でありながら傷病兵として帰還したときには、逸見は少しばかり人が変わったようになっていた。表向きの振る舞いに大きな変化はなくとも、言葉や態度の端々に表れる自他への厳しさが一段と増していたのである。それでも、心身ともに弱り果てた少女に――亡き父の正義感を受け継いだ少女に人殺しを強いるような、そんな悪魔じみた男ではなかったのだ。
(キュウケツキ、マジョ、フクシュウ……ドクター、タジさんにはわかりません。どうして、マハラーニに、そんなこわいことをいうのですか。ひどいことを、させようとするのですか。マハラーニはないています、くるしんでいます)
 時枝同様、サタジットにも逸見の変貌ぶりが理解できなかった。
 逸見兄弟のことを考えようとするたびに、頭に薄ぼんやりとしたもやが掛かるような感覚があったことを思い出しながら、サタジットは右手に光る指輪を見つめた。青藍から授けられた青い貴石が、持ち主を励ますかのように強い輝きを放っている。全身に容赦なく襲い掛かる痛みに耐え、サタジットはみずからを鼓舞するかのように右のこぶしを固めた。
(ドクター、あなたはホントウに、ドクター・ヘンミなのですか。タジさんのしっているドクターは、そんなひどいこと、ゼッタイにしないのです)
 サタジットの脳裏に、ふと、四年前の出来事が蘇る。
 折から体調を崩していた輝彦の容態が急激に悪化し、ついに息を引き取ったとの連絡を受けたとき、逸見兄弟は赤坂ではなく、まだ麻布の三河台に住んでいた。愛犬と共に弟を看取った逸見は、サタジットが駆け付けたとき、悲しみのあまりなかば呆然とした表情を浮かべていたのである。
(あのヒまでのドクターは、いったい、どこへいってしまったのでしょう。タジさんにもテルヒコくんにも、リヒトにもやさしかった、あの…………)
 今となっては恐ろしく遠い昔のように思える逸見兄弟との思い出をたどるうちに、サタジットはハッと息を飲んだ。全身を貫く激痛と青い貴石の輝きが、脳裏に掛かる白いもやを吹き払っていく。何もかもが明瞭になったその瞬間、サタジットの耳に懐かしい声が届いた。

 

-歴史・時代

東京探偵小町 第三十九話「星ひかる」<全4話> 第1話第2話第3話第4話

コメントを残す

おすすめ作品