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歴史・時代

東京探偵小町 第三十九話「星ひかる」 <3>

   

「あたしがここに残るから、みんなを連れて逃げて」
「何を言うんです、お嬢さん!」
「倫ちゃんたちこそ、あたしのために、もう十分に良くしてくれたわ」

小説版『東京探偵小町
第十二部 ―探偵編―

Illustration:Dite

 

 大鴉の羽根が腕や脚に突き刺さり、画箋に墨がにじむように肌に溶けていく。鈍い痛みと共に全身が重くなり、耐え切れず、時枝は倒れ込むようにして倫太郎の胸にすがった。
「お嬢さん!」
「倫ちゃん…………」
 倫太郎の声を、自分をしっかり抱きしめてくれている腕をなぜか遠くに聞きながら、時枝は襲い来る悪寒に耐えた。全身に鉛を流し込まれたように指先までが重く、胸に下げた形見の十字架が熱い。白絣のワンピースには焦げ目のひとつも付いていないのに、その下の肌は灼熱の輝きにひどく傷つけられていた。
「お嬢さん、もう十分です。お嬢さんは、もう十分に僕らのために力を尽くしてくれました」
 抱きすくめた時枝の体からどんどん力が抜けていくことに恐怖を覚えながら、倫太郎は死に物狂いで言葉を継いだ。時枝が助かるのなら、命など惜しくはない。今の時枝が何者かであるかなど、もはや問題ではなかった。
「僕はもうこれ以上、お嬢さんの苦しむ姿を見たくないんです。お願いです、教えて下さい。どうすればいいんですか。どうすれば、お嬢さんは楽になれるんですか」
「だから、言ってるじゃねぇか。俺を喰えばいい。俺を喰やァいいんだよぉ、探偵の娘さん!」
 なかば説得とも取れるふたりの言葉に、時枝は弱々しくかぶりを振った。苦しみゆえの涙で視界がぼやけていくのが、気がふれる前触れのように思えて、全身に震えが走る。それでも、「他者を喰らう魔物にはならない」というたったひとつの決意だけは、命が尽きるまで守り通したかった。
(あたし、このまま頭がおかしくなっちゃうのかしらん……上海で見た、あの気の毒なかたのように。亡くなった、大迫のお姉さまのように)
 心の中心に、くさびが打ち込まれているのがわかる。
 嫌な音を立てて、無数の亀裂が入っていくのがわかる。
 自分の心は、粉微塵になる寸前なのだと時枝は思った。
(どうしたらいいの。あたし、どうしたらいいの? どうしたら、元のあたしに戻れるの?)
 脳内に響く恐ろしい声に屈し、少しでも動揺を見せれば、途端に自分を保てなくなってしまうだろう。心身をむしばむ苦痛と恐怖にひとりきりで耐え続けるのは、もはや限界だった。
「…………逃げて」
 無意識のうちにこぼれた言葉がそれだったことに、時枝は切ないほどの安堵を覚えた。逸見晃彦の姿をした男の目的は、ここにひとりの魔女を――物陰に潜む吸血鬼を誘い出し、体に宿した毒血を与えて破滅に追いやる、ひとりの魔女を生み出すことなのだ。
 だとすれば、倫太郎や和豪たちを助ける方法はある。
 この場から逃がす方法はあると、時枝は顔を上げた。
(そうだわ、あたしさえここに残れば……あたしがあのひとの言うことを聞けば、倫ちゃんたちは助かるかもしれない。もう元のあたしには戻れないのなら、せめて倫ちゃんたちだけでも)
 和豪も、和豪の助太刀に入った異国生まれの少年たちも、誰もが傷つき、命の危険にさらされている。自分を愛し、守ろうとしてくれた人々をこの場から逃がすためなら、逸見晃彦と名乗る男の前に膝を屈することくらい、何でもないことのように思えた。
「倫ちゃん、逃げて」
 倫太郎の胸をそっと押しやりながら、時枝は小声でささやいた。
 ハッと目を見開く倫太郎に、口の端から小さな牙がこぼれる顔をさらす。瞬間、倫太郎が痛ましいものでも見るかのように、きつく眉を寄せた。

 

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