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価値ある一枚

   

平崎 二郎は、うだつの上がらない会社員として日々を送る一方、裏の「名刺業界」で、ブローカーをしていた。表沙汰にできない仕事をこなしつつ、金と人脈を高め、「最強の名刺」を手に入れるためだった。

「最強の名刺」は、ある実力者が自分の名を入れたもので、それを入手した人間に、莫大な富をもたらすというものだった。平崎は、夢やロマンを求めて、裏の「名刺業界」に飛び込んだのである。

ある日、「仕入れ」の帰りに、鼻持ちならない成金たちに名刺を強奪された平崎は、自分を殴りつけ、去っていった成金が落としていった一枚の名刺を見つけた。何と、それこそが「最強の一枚」だった。平崎は、自分の幸運に浸りつつ、名刺入手者だけが入ることができるパーティに参加するのであったが……

 

「ちょっと、平崎君っ! あなた、何でこんな簡単なことができないのっ! やり直しよっ。残業代は付けないから、そのつもりでいなさい」
「そっ、そんなあっ、勘弁して下さいよ」
 何とか仕上げた書類を見せにいくと、課長の西口 忍は、瞬時に俺のミスを指摘し、怒声を上げた。
 かなり容赦のない剣幕だが、情けない声で応じている俺に同情するものは誰もおらず、それどころか、事務所の至るところで、くすくすという笑い声が漏れている。
「はあ、また残業かあ」
「残念そうな顔をしたって無駄よ。どうせ、家に帰ってもやることなんてないんでしょう」
 軽くぼやくと、西口からの鋭い突っ込みが飛んできた。
 ふへへ、と、情けない声を出して苦笑いすると、室内から再び失笑が漏れた。
 典型的なダメ社員、それが、俺、平崎 二郎の社内での立ち位置である。

「まったく、西口課長は口が立つというか……」
 誰もいなくなった事務所内で、俺はキーボードを叩いていた。
 普段の勤務中より、多分数倍は早い。
 元々、大手商社のエリートだった俺としては、この程度の書類作成など、仕事のうちには入らない。
 だが、力を発揮しても、大したことにはならないのだから、実力を見せてやるメリットは何もない。
 今の俺には、「無能」という周囲からの評価と、一人で机に向かっていても怪しまれないシチュエーションが、どうしても必要なのだ。

ブルルルル……

 書類を二枚ほど仕上げたところで、ポケットに入れておいた携帯が震え始めた。
「依頼者」からの電話である。
 俺は背筋をぎゅっと伸ばして、電話を耳に当てる。
「もしもし、平崎さん。今、大丈夫か」
 聞こえてきたのは、上得意である杉浦の声だった。
 杉浦は、とある裏社会系組織の幹部で、将来が期待されている、言わば有望株である。
 殺しとクスリの取引以外は何でもできる幅の広さが、「業界」内での知名度を高めているようだ。
「大丈夫ですよ、杉浦さん。社内にはもう、誰もいません。まあ、いたとしても、俺がこんな大きな副業をしているなんて、疑う人間は皆無でしょう」
「ははは、ダメ社員キャラさまさまってわけだな」
 杉浦は軽く笑ったが、すぐさま声を、真剣な調子に戻した。
「だが、こっちには世間話の時間はねえんだ。X地区のシマで、ちょっとした揉め事が発生してな。すぐに収めなきゃなんねえんだ」
 予想の範囲内の言葉だった。俺は意図的に柔らかい声色で応じる。
「大丈夫ですよ。問題ありません。『例の方』のものでしたら、つい先日、手に入れることができました。もちろん、黒札です。いつものコインロッカーの中に保管してありますので、すぐに確認されると良いでしょう」
 俺の答えに、杉浦はふうっと安堵のため息をついたらしかった。 街のワルたちのレベルでは、今や目を合わせることもできないという杉浦の態度としてはかなり意外だが、それだけ状況が切迫していたということなのだろう。
「悪い、本当に助かる。すぐに向かわせて貰うぜ。半金は、ロッカーの中に置いておくからな。時間が押してなけりゃ、直接礼を言いたいところなんだけどよ」
「いえいえ、お構いなく。お気持ちだけで十分ですよ」
「はは、分かったよ。それじゃあ、また頼むぜ」
 結局最後は和やかな調子で、杉浦は電話を切った。
 商談、成立である。
 俺は首をくいっと捻った。少々肩はこるが、この程度のやり取りで、三十万円は入ってくるのだから、おいしい商売である。

 

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