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歴史・時代

東京探偵小町 第四十話「少女探偵」 <2>

   

「そうやって何でもかんでも、ひとりで始末つけようとすンなィ。ひとりでどうにもならねェことは、誰かに頼りゃいいじゃねェか。甘えりゃいいじゃねェか!」

小説版『東京探偵小町
第十二部 ―探偵編―

Illustration:Dite

 

 恐るべき火勢だったにも関わらず、一階の応接室から出火したとされる逸見邸の火事は、なぜか一軒の延焼も出さなかった。まるで分厚い防火壁に隔てられていたかのように、逸見邸だけがきれいに焼け落ちたのである。しかも、消防組が駆け付けた頃にはすでに屋敷の大半が鎮火し、周囲の家々は何事もなかったように朝を迎えたのだった。
「…………みんな、悪い夢だったら良かったのに」
 翌日、焼け跡から発見された遺体は損傷が激しく、身元の確認は困難を極めた。逸見兄弟の行方がわからなくなっていることから、警察は晃彦兄弟が逃げ遅れたものと結論付け、新聞各紙もそう書き立てている。リヒトと見なされている遺体が新橋事件の犯人であることを知るのは、時枝たちだけだった。
 納得しきれているわけではないが、道源寺や柏田でさえも「逸見兄弟が火事で落命した」という結論を飲み込んでいる。新聞を目にした人々は若き医学博士とその愛弟の死を悼み、屋敷の奇妙な燃えかたに首を傾げてさまざまに噂したものの、いつまでも話題に上ることはなかった。その証拠に、逸見邸の跡地は八月を待たずに更地に変わり、早くも次の買い手を待つ状態になっていた。
「雲が…………」
 夜風に流されて切れ切れになった薄雲の隙間から、細い三日月が顔をのぞかせている。時枝の目には、その頼りないほどのかぼそい月が、やけに明るく見えた。
 一連の出来事が、どんどん「なかったこと」にされていく。
 それを見つめる時枝たちの胸に、わだかまりがないと言えば嘘になる。だが、あの一夜を「なかったこと」にする以外、始末の付けようがないのも確かなのだった。
「じきに新月なのね。ひと月って、なんて早いの」
 蒼馬の待つ松浦男爵邸へと戻っていくリヒトを見送ってもなお、時枝は自室へ戻る気になれなかった。もう深夜だというのに眠気が訪れる様子はなく、それどころか、やり過ごせると思っていた飢餓感が首をもたげ、目が冴えはじめていた。
 今夜は枯らさずに済むと思っていた青い花が、さっきから視界の端にちらついている。ほんの少し手を伸ばせば届くところに、身を守る術を持たない、可憐で無防備な花が咲いているのだ。
 耐え切れず糧を求めてしまう自分が情けなく、けれど思い切って立ち去ることもできず、時枝は紺藍のひと群れの前に立ち尽くしていた。その日その日を無難に過ごす、ただそれだけのことに神経をすり減らす時枝の疲労感は、もはや限界に達しようとしていた。
「…………不思議ね」
 糧を求めたい気持ちを必死にこらえてまぶたを伏せ、眼前に咲く青い花が与えてくれる夜毎の甘露を反芻する。かすかに甘く、薄荷水にも似たさわやかさがあり、体の奥深くにまで瞬時に染み透っていく。それは清々しい美しさを持つ花姿そのままの、この上なく清らかな生命力だった。
「どうしてかしらん。わごちゃんのお花なら、一輪で済むの。一輪だけで足りるの。みどりさんのお母さまや柏田さんのお姉さまから頂いたお見舞いの花束は、一晩でみんな枯らしてしまっても、まだ足りなかったのに」
「別に不思議でも何でもねェだろ」
「わごちゃん!」
 何の前触れもなく聞こえてきた和豪の声に、時枝が驚きの表情で振り返る。見ると、寝間着からのぞく腕も脚も包帯だらけの和豪が、腕組みをして建物の外壁に寄り掛かっていた。

 

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