幻創文芸文庫 (β)

小説好きの創作小説を無料配信*スマホ対応

ノンジャンル

幻影草双紙53〜ひったくり〜

   

 ひったくりは犯罪です。
 よい子の皆さんは、してはいけませんよ。

 

 刑事は、椅子に座っている保井伸二郎に、言った。
「自衛隊に勤めておられたんですね?」
「陸上自衛隊です。そうは見えないでしょう」
 保井伸二郎は、痩せていて、髪の毛は真っ白である。
 どこにでもいる、弱弱しい老人、そのものの姿であった。
 机の脇には、杖が立てかけてある。
 確かに、精強な陸上自衛隊員、という雰囲気は、どこにもない。
「脳梗塞で倒れて、あっというまに、こんな姿です」
 刑事は、同情するような顔つきで、頷いた。
「陸上自衛隊時代からの根性で、リハビリをして、歩けるようにはなりましたが、杖が欠かせない」
 保井伸二郎は、杖を手に取った。
 まるで、お守りのように、杖を握り、話を続けた。
「リハビリをしている最中に、女房が死んで、心の支えが消えてしまって……」
 保井伸二郎は、涙声になった。
 刑事は、そんな彼を勇気づけるかのように、話題を変えた。
「ところで、ひったくりをした2人の名前が分かりました」
「ほう」
「川端譲二と柳本充。暴力事件で高校を中退した後、無職で、ブラブラしている……。この辺では、誰でも知っている、ワルですよ」
「そうですか……」

 保井伸二郎は、子供のころから、体力には自信があった。
 体格も、人並み外れている。
 それで、陸上自衛隊へ入ったのである。
 陸上自衛隊では、毎日の訓練が果てしなく続き、時には災害出動などがある。
 ほとんどの者は、陸上自衛隊の生活はきつい、と感じていた。
 だが、保井伸二郎は、きついとは思わなかった。
 それどころか、これが俺の天職、とすら思ったほどである。
 それほど、体力に自信があったのだ。
 そして、任期制退職で退職したとたん、皮肉なことに、脳梗塞で倒れたのだ。
 適切な手当のため、死は免れた。
 そして、リハビリ。
 目的に向かって一心不乱に努力する根性は、ある。
 保井伸二郎は、歯をくいしばって、がんばった。
 そのおかげで、普段の生活が出来るようになった。
 だが、半身に麻痺が残り、片足を引きずるようになってしまったのである。
 杖がなくては歩けない。
 体力を自慢していた者が、杖にすがる生活をしなければならないのだ。
 さらに不幸が続いた。
 長年連れ添った夫人が死んだのである。
 保井伸二郎は、落ち込んでしまった。
 身体のダメージだけではない、心理面でもダメージを受けたのだ。
 見かねた娘が、声をかけた。
「お父さん、一緒に住みましょう。孫の面倒をみてよ」
「そうだなぁ。そうするか……」
 それで、住み慣れた家を売りに出し、この、田舎の町へ来たのであった。

 

-ノンジャンル


コメントを残す

おすすめ作品