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歴史・時代

東京探偵小町 第四十話「少女探偵」 <4>

   

「大将のヤツ、なんだかんだで良く続いてるじゃねェか」
「今やすっかり、『少女文芸』の花型ですよ。探偵小町が直接ペンを執って読者の悩みに答えるという構想が当たり、掲載するやいなや大評判。頂く原稿料、もう一割増しでも良いくらいです」

小説版『東京探偵小町
第十二部 ―探偵編―

Illustration:Dite

 

 その瞬間。
 誰もが、自分の体がふわりと宙に浮くのを感じた。
 やがて驚く間もなく大地が震え、目に映るすべてのものが激しく揺れ動いた。いまだ暑さの残る九月一日の正午前――相模湾沖を震源とし、鎌倉から小田原、横濱、帝都全域を襲った烈震は、多くの人命を奪い、建物を崩壊させ、その名が歴史に大きく刻み込まれるほどの大惨事となった。
「蒼馬くん、地震だわ」
 高等下宿「北辰館」の一階。
 中庭に面した二間続きの特別室が、帝都の誇る少年挿絵画家・紫月蒼馬の居室である。学校帰りに見舞いに立ち寄った時枝は、寝室側の縁側に腰掛ける蒼馬に、ちょうど差し入れの梨を運ぼうとしていたところだった。
 松浦邸の離れから北辰館に戻って数日を経ても、蒼馬はやはり食欲がなかった。ばあやとして身の回りの世話をするトミの話では、今日も朝から何も口にしていないのだという。共同の炊事場で蒼馬の昼餉の支度をしていたトミが、玉子粥の土鍋を前に思案気に眉を寄せるため、時枝は早速、持参の梨を供することにしたのだった。
 今日は始業式のみとあって十一時には下校となり、時枝は迎えの車に乗るみどりを見送ってから、ひとり蒼馬の住まう北辰館を訪れた。途中の八百屋で二顆の梨を買い求めたのは、蒼馬の食の細さを思ってのことである。粥や惣菜の類にはなかなか箸をつけない蒼馬だが、季節ごとのみずみずしい果物ならば、ひと切れ、ふた切れと口に運ぶのだ。
 この少年画伯を姉のような気持ちで見つめる時枝は、蒼馬から「今秋の帝展に出品する」という話を聞き、「それなら頑張って栄養をつけなくちゃね」と、手ずから梨をむいてやったのだった。
「いやだ、この地震、大きいみたい。気を付けて」
「わかってるよ」
 揺れに気付いたときは時枝にもまだ気持ちの余裕があり、平静を保っていた。大声を発したのは初振から数秒後、恐ろしい地響きと共に家屋が大きく揺らいでからである。
「蒼馬くん!」
 この世の終わりを思わせるほどの凄まじい揺れに、声も出せずに縁側の縁に掴まっている蒼馬を、梨を盛り付けた硝子皿を放り出した時枝がとっさに抱き寄せる。他者との、特に身体的に弱い者たちとの接触を最大の禁忌としている時枝ではあるが、蒼馬を守りたい一心でその頭を抱きかかえ、縁側に面した柱にすがった。
「止んだ…………?」
「待って、まだ揺れているわ。リヒトくんも気を付けて」
 蒼馬を固く抱きしめたまま、中庭で全身を緊張させているリヒトを気遣いつつ、息をひそめてあたりを見回す。次第に気恥ずかしくなってきたのか、蒼馬が時枝の腕から抜け出そうしたときだった。
「なっ、なに?」
 突然の爆発音のようなものに驚き、蒼馬が思わず声を上げる。
 その直後、地面が大きく波打ち、地上に存在するありとあらゆるものが滅茶苦茶に揺さぶられた。硝子障子に瞬く間にヒビが入り、砕け、茶箪笥も本棚も紙細工のように情けなく倒れていく。
「リヒトくん、大丈夫!?」
『永原、避難を!』
 蒼馬の居室と北辰館の中庭をみずからの居場所としているリヒトが、首につけられた細縄の届く限りの場所まで駆け、時枝と蒼馬を案じて大きな吠え声を上げる。時枝たちに一歩でも近づこうとしているのか、細縄に引っ張られた首輪がどんなにきつく喉に食い込んでも、リヒトは吠えるのを止めなかった。

 

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