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幻影草双紙59〜ハスの花〜

   

 ハスの花は、泥沼に咲きます。
 泥の濁りに染まらず、清く美しく咲くのです。

 

 
 その駅に降りたのは、芳川則夫、ただ一人であった。
 山陰地方の、ローカル線の途中にある無人駅である。
 駅のホームの先には、壊れかけた駅舎があるだけ。
 四方は山に囲まれている。
 山を越えたところに、集落がある。
 元々、この集落のために作られた駅なのであった。
 だが、集落の人口が次第に減ってきた。
 そして、別な方向から、自動車が通れる道も作られた。
 というわけで、現在、この駅は、ほとんど使われていないのである。
 鉄道の無人駅マニアならば喜びそうな場所である。
 だが、芳川則夫は、鉄道・レポーターではなかった。
 芳川則夫は、駅舎の先にある細い道から、山を登り始めた。
 夏なので、木々や草は緑に染まっている。
 西日が差しているが、風もある。
 ハイキングにはちょうどよい山道である。
 だが、芳川則夫は、アウトドア・レポーターではなかった。
 集落に出る。
 集落の外れの小さな家に、『小林てる子』という表札が出ていた。
「ここだな。ごめん下さい」
「はい」
 小林てる子は、40代半ばの女性であった。
 太り肉で、目鼻立ちのくっきりした顔をしている。
 山の中の集落に独りで住んでいる、熟女。
 その家にやってきた、20代後半の男。
 官能作家ならば、数本の小説が書けるシチュエーションである。
 だが、芳川則夫には、その方面の才能はなかった。
 小林てる子は、早めの夕食で、芳川則夫を歓待してくれた。
「山の中なので、山菜くらいしか、おかずがないの。ごめんなさいね」
「とんでもない、ごちそうです」
「そう言ってくれると、嬉しいわ」
「僕、バイト生活なので、一日カップ麺ひとつ、という日が多いのです。苦労しているんですよ」
「そう……。苦労、ねえ……」
 小林てる子が、眉を下げながら、軽く笑った。
 純文学を目指す者なら、見過ごせない表情である。
 だが、芳川則夫は、見過ごしてしまった。
「でも、早く食事にしてほしい、と手紙に書いてありましたけれど、この後、どうするつもり?」
「万蓮寺へ行きます」
 芳川則夫は、声をひそめて、続けた。
「幽霊が出るんでしょう? 僕、幽霊のレポーターなのです」

 

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