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歴史・時代

薔薇と毒薬 8

   

「じゃあ、僕と君とは、気が合うかも知れないね」
 ノイッシュが、親しみを込めた様子で言い、ふと湖の中に浸かったマリエットの足元に目を留めた。指先で持ち上げたスカートの端から、ぽたぽたと雫が落ちている。
「つめたくないのかい?」
「…………」
 自分の間抜けな姿に、マリエットは逃げ出したくなった。

 

「……懐かしいわ」
 マリエットは薔薇色水晶のペンダントから手を離し、追憶から現実へと、意識を引き戻した。
 あの日知ったように、世界は美しい。そして今この美しい光景を目にすることができたのは、あの日出会った少年が、厳しい現実から逃げるように閉じこもっていた夢の中から、マリエットを引っ張り出してくれたから。
 自分は運がよかったのだと、マリエットはいつも思っている。
 まともな家に生まなかったことも、誰からも愛されなかったことも、親がいないことも、薬がなければ長くは生きられないことも、不運の一言ですべて片付いてしまう。
 けれどマリエットは簡単に諦めるつもりはなかった。今日まで生きてきた自分は強運の持ち主なのだと。それは自分が掴んだものだと、そう信じている。
 今日も、こんなにも美しい景色を見ている。そんな自分が、不運であるはずがない。きっとすべての望みは成就する。解毒剤を手に入れて、任務も果たし、そして生き延びる。出来ないはずがない。
「そうよ」
 暗く沈んで不安に怯えていても仕方がない。マリエットは顔を上げて笑うと、湖の際に立ち、辺りを見渡した。
 目の前に広がる澄んだ湖面は、きらきらと光を映して、マリエットを誘う。マリエットは靴と靴下を脱ぎ捨てて、さざなみすら立たぬ湖に足を踏み入れた。
 清冽な湖水がマリエットの足をあらう。今まで動かなかった水面がゆれるのが楽しくて、マリエットは水の中に一歩踏み出した。足を中心にしてまるく広がる波を、目で追う。この波はどこまで消えずに届くのだろうと思いながら、歌う。
 水面を波紋が走る様は、歌が人の心に届いてゆく様子に似ている。マリエットは、裸足の足を思い切り蹴り上げた。跳ね上げられた水がきらきらと、陽の光を映して舞う。それは宝石が砕けて散るように美しかった。
 水面に落ちた雫はまたたくさんの波紋を広げ、湖面がゆらゆらと揺らいだ。マリエットの唇から、軽快な旋律があふれ出す。
 そのとき、さわさわと木々の葉がふれあう音がした。その気配に気づき、マリエットが振り返ると、そこにいたのはノイッシュだった。

 

-歴史・時代


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