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歴史・時代

宗昴記:番外章「月の追憶」/後編

   

 ときは宗王朝が建国期、第三代は明同帝の治世のこと。皇帝の第二皇子・朱理(15)は、悪戯半分で月夜の亡霊を探すため、古い蔵に入り込む。
 巻添えで閉じ込めてしまった師の孫娘・李香蓮(13)を話し相手に時間を潰すうち、夜は徐々に更けていく。暗闇の中、耳に届く奇妙な物音。そして、怪しげな魔手がふたりに襲い掛かった…

 三人の男女を描く長編宮廷ラブストーリー番外編。月夜の追憶が誘う幼き日々、少年少女のささやかな悪戯と冒険の物語。

※この作品には、「人物目録/用語解説」がご用意してあります。

※この作品は「宗昴記」という長編作品の番外編にあたる物語です。この番外章から「宗昴記」の世界へ踏み込むことも可能とは思われますが、基本的には、第一章を既にお読み頂いた方を対象に執筆した作品です。

 

後編

 消毒薬と古い木材の匂いが立ち込める暗闇の中、少年は気色の悪い緊張に捕らわれていた。

 重く閉ざしていた蔵の入り口が、不愉快な音を軋ませて、わずかばかり開いている。だが、それは朱理が待ち望んでいた事態ではない。何の呼びかけも為されず、誰も踏み込んで来ない。外の人間がこちらの出方を伺っている証拠だった。

 この屋敷の誰か、ではないのだろう。そうであれば、こう呼びかけるはずだ。李香蓮さま、もしや、そちらにおられますか、と。

 つまり、あの扉の外で待ち構えているのは、寝室から姿を消した少女を探す良心的な使用人ではない。

「お前、今夜、ここへ来ることを誰かに話したか?」

 できる限り声を殺して、朱理は傍らの少女に問いかけた。闊達なこの少年は、声を潜めるのが昔から苦手だ。

「いいえ。お約束通り、誰にも口にしておりません」

 他方の少女は、ほとんど音のない囁きで、だが、きちんと言葉を伝えてきた。しかし、今の朱理にそれを感心する余裕はない。

「…まずいな」

 一瞬、明るい方の観測として、香蓮が密かに応援を頼み、その人物がそっと手を差し伸べた可能性も思いついたが、少女の否定によって、あっさりと霧散する。

 何より、少女自身が緊張で身をすくめている事実が、それを証明している。小憎らしいほどに利発なこの少女も、朱理と同様、事態の危険水位を十分に認識しているらしい。

 香蓮を探しに来た人物ではない。では、誰か。

 答えはひとつ。宮廷を抜け出した朱理がつけられていたのだ。

(くそっ、しまった…)

 朱理とて、皇位に近い王族のひとりとして、暗殺という可能性を、ある程度は日常の危険と捉えている。今夜も別に忘れていたわけではない。だが、どうも軽率が過ぎた。この蔵は、孫需の屋敷でも奥まった場所にある。多少の叫び声では人は気づかない。おまけに、今夜の朱理は、ひとりの少女を巻添えにしているのだ。

 蔵を取り囲む異様な気配は、もう殺気を隠そうとはしていなかった。肌を焼く、じりじりとした悪意が、朱理の汗腺を刺激して、ひたいに嫌な汗が滲む。

 狙いは朱理ひとりのはずだ。だが、隠匿を好む連中が、現場に居合わせたこの少女を生かしておくはずがない…!

「お前、剣は使えるか?」

 ぎりぎりまで絞った声で、朱理は問う。腰には念のため二対の刀を隠している。少女の体格は頼りないが、意外にそれくらいはこなせる奴かもしれない。並以上に使えると言うなら、この事態をふたりで切り抜けるべきだ。

「いいえ。自慢ではございませんが、武術や体術の類は人並以下、およそ及第点には程遠い状態でございます」

 李家の生んだ稀代の神童と謳われる少女は、無駄に滑らかな調子で、さらりと告げてくる。

「分かった。仕方ない」

 こんなとき、峰家の李白だったなら…とは、考えないことにした。今夜の同伴者として、彼女を選んだのは、他ならぬ朱理自身である。場合によっても、この少女だけは、何とかして、兄や祖父の待つ家に帰してやらねばならない。

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