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ミステリー・サスペンス・ハードボイルド

個人の価値たる犯罪 <後編>

   

男はついに自己意思を発動する。
それは自分の価値を唯我独尊にするための身勝手な犯罪。
悪魔のような冷徹な男も、その決意を揺るがすだけの人間味を、その内心に花が開いていた。
男は知る…、自分の価値の意味を。

 

 猟斬は休日ともあり、スーツ姿ではなくカジュアルな服装でこの日はでかけた。

「対象者は平日土日関係なしに日常の時間を自由に過ごしている。こちらとしても狙いやすい休日の方がちょうどいい」

 周囲に溶け込むために、目立つ恰好は避けるのがとうぜんだ。ジーパン、スニーカー、ネルシャツに黒のブルゾンという恰好でひらけた公園のベンチに座って暇つぶしの成人男性を装い、さらに周囲の風景や、人間、動物、建物、道路、という構造までを伊達めがねから、ちらちらとそれとなく眼球を動かしのぞいていた。

 そして見つけた。「あれだ…あれが第一のターゲットだ」

 めがねの奥からかすかに視線を刺すようにみつめるのは、ひとりの女性だった。スラリとした成人女性だ。三十歳だが、二十台半ばには見える女性だ。

「あの子だ」手にはスマートフォンのメモ機能に記したターゲットの名前とそれにまつわる情報、つまりが生年月日はもちろんのこと、住所、電話番号、家族構成が記されていた。

 しかし、その視点はやや下がる。スラリとした女性のそばにいる小さな子どもがターゲットだった。

 田中 巫女(たなか みこ)。まだ四歳だ。

「簡単にやれる。あんなちびっこひとり、でも…」
 男は迷いはじめた。ターゲットではない、その保護たる存在に。
「あの子どものお母さん、まさかこんなにもきれいなんて…美しすぎる、あぁ…どうしよう…」

 吐息が漏れるほど、その女性は美しいのだ。悪魔な顔になっていた猟斬は、人間の女性にひと目惚れした。もしくは女神のようなその女性に、悪魔が見惚れてしまった。

「初恋のひとにそっくりだ」無意識に過去に出会った女性を思い出すのは、まだ猟斬が他人との接触を拒み、忌み嫌うせいで”異性”にたいしての感情を見失っていた。

「中学のとき告白した彼女に…、でも振られたんだ。オタクよわばりされた挙げ句…、暗い、会話が続かない、愛想がない、いつも下をむいて目も合わせられないのはなんで? と問われるしまつ…」

 初恋だと思っていたその女性のことを思い出したら、嫌な記憶しか浮かんでこない。そもそも異性と話すときに、印象のよかった映像なんて一瞬たりともなかった。そんなシーンがあったためしがない。女性と会話をしたのがいつだったか?

 コンビニエンスストアの店員とレジ清算するときの会話くらいだろう。あれは会話といえるだろうか?

「胸くそわるいことばを吐かれ、バカにされ、見下された…むかつく」
 男はベンチに座していたというのに、愕然から、滑り台のように膝から崩れ、その場にうなだれた。

「だが、やる…、ここで引いてなるものか、なんのために、屈辱を糧にしてこの瞬間の第一ステージの舞台に上がったというのに…やってやるさ!」

 男は立ち上がった。

 公園の砂場で子どもたちがはしゃぎまわるせいで、砂埃が奮起したての男にまとわりついた。その煙さにせき込んだ。

「くそ、ゆるせん。こんな子どもにバカにされたこともないのに、なんたる屈辱…」

 しかし男は我に返る。

 無邪気な子どもたちの無神経さと、悲痛な思い出にみずから触れてしまったことに憤怒した感情を押し留めた。ここで荒ぶることはよくない。勇み足が、まさに足枷になってしまう。

 再び速やかに冷静さを取り戻すのは、猟斬が少しは社会人らしい大人になっている証明でもある。
 悪魔の鋭利な目にもどる。ゆっくりとその眼光をターゲットへ向けた。
 しかし、男は苦悩していた。

「やっぱりきれいだ。美しい女性だ。あの女の子も将来お母さんのように美しくなるかもしれない」

 子どもはピンクの服を着ている、てことは女の子と判断するのは当然だろう。名前だって、巫女だったことを思いだした。

 男は、同じ誕生日のあの子どもを殺害しなければならない。でも、将来あんなにきれいなお母さんと同じになると思ったら惜しくなった。

「ひとの心が邪魔する。悪魔に徹しきれない…もったいない」

 同じ誕生日の者を殺したいのは、自分の存在が唯我独尊でなければならない、その思いからなる衝動。
 救済の余地がない。だが、ためらう。激しく心が左右に揺れる。天秤のはかりのバネがはずれそうなほどに。

「この世の中におれと同じ誕生日のやつはひとりもいないんだぜ」

 誇りにかけたこの台詞を、他者にいいたいがための衝動、そのためだけの行為。

“世界で一個たる存在は、世界で一番小さき志の持ち主だった”。

 唯我独尊者の誇りにかけた台詞にたいして周りは…どんな反応を示すだろう?

「あぁ、そうなんだ…」

 その先の言葉に明瞭さはない。闇が広がるだけだ。
 賞賛されたく赴いた刃はもろくも砕かれた。なんら意味が垣間見えなかった唯我独尊主義の男の大罪。稚拙な過ちに気づくだろう。

 男は躊躇した。

「やはり、あのきれいなお母さんの子どもを殺すことはできない」

 ここであの子どもだけ見逃したら、この先の殺意はすべて無意味になる。ブルゾンの内側のポケットに、刃物が仕舞われている。ブルゾンの上からギュッと握る男の手は、決意の天秤に計られているさいちゅうだ。

「決断しなければ…、いや決断していたはずだ。目の前にしてなぜ決意を曲げる。すべてを犠牲にして、人間性も欠けたように偽装している自分が嘆かわしく思うじゃないか」
 世界で一個たる存在が、自分とその子どものふたりが存在してしまうなら、この後の殺意は、なにをやっても無意味になる。
「あの子は殺せない」

 男はその場から離れた。もう二度とそこにこないことをつぶやきながら…
 見逃してもいい。もしくはいちばん最後に殺す。ほかの連中を殺めていくのには時間がかかる。ゴールに向かう途中に、自分に降りかかるであろう周囲の猜疑心と戦うこともある。
 だが、その選択にも迷いが生じた。

「時間が経過してあの子が成長したら、もっときれいになっているではないか。けっきょくゴールにはたどりつけない…無意味ってことか」

 結論は幾重にも枝分かれし、たどりつく結果はひとつしかなかった。

 

-ミステリー・サスペンス・ハードボイルド

個人の価値たる犯罪<全2話> 第1話第2話

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