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迷い人に孫の手を<2>

   

 平坦な日常は、ほんの一筋、道を外れた所に変化点がある。
 出会った人は、老人でした。日常でも、同じでも、出会いは唐突にやって来る。彼は動き出す。彼は進みだす。その一歩を、ここに贈ります。

 迷い人に孫の手を、第二話。

 どうぞご賞味下さいませ。

○○○

「……三時までここらで待ってろって、言われたんです」
「なんぞ、無能上司か」

 僕の言葉に、老人はハッキリと言い切った。気持ち良い言いっぷりに、言い訳を考える気も失せた。そもそも社外であの上司を庇う義理もない。たぶん僕は、あの人を好きではないのだろう。胸に沸く僅かなざわめきを感じながら、僕は肩を竦めた。

「で、兄ちゃんは律儀にそれを守っているわけか」
「はい」
「阿呆だな」

 老人の言葉は、するりと僕の頭に入ってきた。

○○○

 

 
「何だ、本当にすっぽかされたのか? そりゃ不憫な話だな」
「違います、です」

 妙に慣れ慣れしい言葉遣いに、僕の返答は詰まってしまった。

 ショッピングモールの待合ソファーで、今時、兄ちゃん、なんて声掛けをされると思っていなかったのだ。予兆もなく唐突に話しかけてきた老人は、背筋もぴんと伸びた初老の男性だった。手にした杖は歩行補助用らしく目が悪いというわけではなさそうだった。白髪はアルビノのように真っ白く、失礼ながらに綺麗だった。定年は過ぎて居るだろうその男性は、僕を見定めるように一瞥して、手にした杖でこん、と冷たい床を打った。

 妙に貫禄のある人だ。僕はつい息を呑み、しばしその老人を眺めてしまった。

「どうした、爺さんがそんな珍しいのか?」

 言われて慌てて視線を逃がす。しまった、見ず知らずの人を見つめるなんてどうかしている。しかも老人を、と思ったところで先に見て来たのは相手なのを思い出した。僕は逃げ腰気味に上半身を浮かせながら、次への移動の準備をしつつ、

「兄ちゃんは女待ちか。二股か? 三股かい?」

 ぐ。あくまで女性関係を疑われ、何ともバツが悪い。唐突に酷い評価をされ、さすがに立ち上がろうとした腰がソファーに落ちた。褒められているのかすら怪しく、とりあえず良くない評価だろうと思い、「違います」と首を振った。老人は口元の端を持ち上げて笑んでいる。「その服装じゃ、そりゃそうだわな」と言われて肩を落とす。「いやしかしダメ男を欲しがる女も……」と続き、僕は観念した。駄目男ですか。

「上司です。上司に資料を確認して貰っていて、三時までここらで待ってろって、言われたんです」
「なんぞ、無能上司か」

 僕の言葉に、老人はハッキリと言い切った。気持ち良い言いっぷりに、言い訳を考える気も失せた。そもそも社外であの上司を庇う義理もない。たぶん僕は、あの人を好きではないのだろう。胸に沸く僅かなざわめきを感じながら、僕は肩を竦めた。

「で、兄ちゃんは律儀にそれを守っているわけか」
「はい」
「阿呆だな」

 老人の言葉は、するりと僕の頭に入ってきた。それ程に、目の前の老人が語る言葉は鋭かった。そもそも人を目の前にして暴言を吐ける人間は意外に少ない。まして他人に対してそう平然と言える人は。そう思いながら、しかし僕の知る事なんて、狭い世界での話だと気付いた。たかが二十八年間だ。この目の前の人の人生の何分の一だ。

 歳を取ると誰にでも偉そうにできるのだろうか。
 世界は広く、日常は人それぞれだ。老人は僕を見据えて、「この阿呆め」と凛々しく、明瞭に言った。

「はい」
「何がはいだ。だからお前さん、阿呆だなと言っている。時間の無駄だ」

 老人の言葉に、僕は前頭葉をハンマーで殴られた気分になった。そうだ、ダメだ。言い返す言葉が見つからない。老人の真っ直ぐな目を見据えながら、何とも目線だけは逸らさず、頭を下げた。とりあえず、「電話、煩くしてすみませんでした」と謝っておいた。老人が苛立ったのが気配でわかった。僕は立ち上がった。

「じゃあ、僕はこれで。失礼します」

 僕の言葉に、老人が驚いた顔をした。何とも不可解な生物を見るような目だった。

「待て待て。いいから座れ」
「いや、無駄だって言われたので」
「勘違いするな。無駄なのはその無能上司からの連絡を待つ、お前の時間が無駄だと言ったんだ。いや、むしろその無能上司自体が無駄だ」

 嫌いな人の悪口を言われて、気分が良くなる、と思いきやそうならない自分がわからない。むしろ苛立ちに近い気持ちが沸いた。目の前の老人に「あなたに何が解る」と言いたくなってしまい、そう思う自分がつまり上司を庇おうとしている事実に、気付いて更に驚いた。僕は、何を言いたいのだろう。

 何がしたいのだろう。何が不満で、どうしたいのだろうか。老人を見据えながら、僕は自分の定まらない気持ちに苛立った。

 しばらく黙り、僕は自分の思考の行方が分からず途方に暮れた。

 

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