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迷い人に孫の手を<3>

   

 平坦な日常は、ほんの一筋、道を外れた所に変化点がある。
 初めてが怖いと思う彼に襲い掛かる、初めての嵐。彼の中にある何かが、緩やかに、けれど確実に動き出す。

 迷い人に孫の手を、第三話。

 どうぞご賞味下さいませ。

○○○

「いい人ですね」
「うん。あんな風になりたいって思うよ」
「いえ、柳瀬さんがです」

 僕の返しの誤りを指摘され、彼女はまたくすりと笑った。それから真顔で、彼女は上目づかいに僕を見据え、お姉さんのような澄まし顔で言った。

「私は、あなたが素敵だと言ったんですよ?」
「それは、ええと……」

 こうも露骨に褒められると言葉が返せない。そんな会話だった。

○○○

 

 
「案内してやってくれ」
「はい」

 白衣に身を包んだ老人が、軽やかな調子で僕らに背を向けてその場を去った。白髪に白衣と、焼けた肌が妙に凛々しさを強調させた。腕を捲り白衣を引っかけたようなトクさんの背は、正直若くて凛々しかった。

 それはマッサージをする人というより、医者の背に近いと思った。

 入り口のあたりで迎え入れてくれた女性の背に、僕は付いて行く。支払いは後でと言われ、足りるかがやや不安だったが、二千円もしないと言われて胸をなでおろす。

 連れられた部屋にはマッサージ用らしき机が並び、見た事もない雰囲気に息を呑んだ。初めての場所に緊張するのが僕だ。正直逃げたいくらいだった。女性は手慣れた様子で、タオルやら何やらを用意し始めた。

「あの……」
「すみません、お爺ちゃんが無理を言ったんじゃないですか?」

 女性に言われ、僕は「いえ、大丈夫です」と返すのがせいぜいだった。何をすればいいんだろう。入り口に突っ立ったまま、僕は動けないでいた。目の目に並ぶ机の上に乗るのだろうと思っていたら、並んでいた机が片づけられてしまった。僕は何をされるんだろう。

「すぐに戻って来ますから。ちょっと待っていてくださいね」

 自分の胸くらいの背しかない、少し小さめの女性に待てと言われて、緊張する僕が情けない。上司に待てと言われ、今度はトクさんにまで待てと言われたらしい。

 二重待ちとでも言えばいいのだろうか。部屋の前で待ちながら、僕は静かに、この待ち時間が早く終わるのを切に願った。

○○○

「しかし良く気付いたな」
「ただのお爺さんにしては身体がしっかりし過ぎだと思ったんですよね」

 僕はトクさんが用意した強反発マットの上に仰向けになりながら、くぐもった声でそう答えた。トクさんの指に背骨付近を押さえられている。先ほどは仰向けで足や腕を伸ばされ、気恥ずかしさに身悶えしそうになった。他人に身体を任せるのは、これでなかなか怖いものがあった。
 正直、トクさんでなければ逃げ出したのではないだろうか。それ程に、トクさんは頼りがいのある雰囲気があった。こんな老人になら、なってもいいと思える程に。

「でもまさかマッサージをする人の方だとは思わなかったです」
「まあ、マッサージっちゃマッサージだがな」

 トクさんの言った意味が分からず押し黙っていると、トクさんの押し方がどこか想像しているマッサージとは違う事に気付いた。そもそもマッサージ用の机を端にやった時点で気付くべきなんだ。僕は理解して、「整体ですか?」と聞いたら、返答はなかった。

 正解だと、無言がそう教えてくれた。

 

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