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ラブストーリー

なりあがる! 6

   

 パーティーがはじまり、馬駒も執事としてデビューとなる。しかし、その前に、強化修行がはじまる。運転マナー類を。運転専任者の近場 道之新(ちかば みちのしん)37歳。勤続15年のベテラン執事。テーブルマナーの教官は、ベテラン家政婦の能上 媛佳(のうじょう ひめか)30歳。ほぼ同世代の女だが、とてつもないスパルタ女だった。悲鳴、挫折、逃避、を頭に浮かぶ馬駒は忍耐でどうにか乗り越える。
 パーティー当日、300名前後の来客見込みが、100名弱と思ったより少ないため、馬駒の出番はなくなる。呆然一途のナイト。執事デビューも、皿下げ、配膳だけの担当となった。
 が、そこに見覚えのある客人がいた。元RAKUJYOU文具社企画開発部部長松林 純造、人事部長矢飼 洋がいた。kabuki文具社との合併を機に人事の見直しが行われ、ふたりとも出世したとのこと。

 新会社名。”株式会社KABUK-INJYOU(かぶきんじょう)”漢名では「歌舞金城」とも書く。

 矢飼は重役たちのパシリ扱い。もはやかつての人切り人事部長の名はどこへやらだ。松林はそれなりに重役に昇進していた。
 そして重役会議で松林が耳にした話を馬駒に話す。それは不穏抱く内容だった。

 

 週末、とうとうこの日が来た。家政婦の老婆は庭園で作業の手入れをあらかた教えたそのときから姿をみることはなかった。朝も昼も夜も、従業員が食事をとるための食堂ですらその影をみることはない。いったい何者だったのだろうか。まるで幽霊のような、もしくは、というよりあれは妖怪だな。老婆だし、と馬駒は納得することにした。
 毎朝、かなめお嬢様を目にするが、ちらっとだけ視線があい、微笑む顔がわかる。それいがいはずっと澄ました顔で気丈に振舞っていることを躾けられてきたのだろう。優雅な態度に慎みを重んじ、冷静でありながら不幸な人間には温情が増すような恵みを指し伸ばす指先は、お嬢様という立場だからだろう。
 だが、ちっともおれの部屋に遊びにもこない。夫候補として迎え入れたなら、自由時間にちょっと寄り添うような態度はとるものだと思っていた。会話などたまに廊下で会うときにちょっとだけ、ハキハキとはしゃぐ顔は穢れなき少女のようだ。本音はこっちの顔だとわかっている。周囲にその本性をだせないのは、男として、冠木家の執事として未熟で、認められていないことが原因だろう。
「経験があっても、ここでは素人だ。職務も未経験。あとはいくら覚えがよくても意味がない。彼女に、いや彼女たちに認められるようにならなければいけない。なりあがれ、おれ」
 ぼやきはいつも自室の部屋からのぞく小さな窓が対話者となる。その小さな窓がマイクとなって世界へ伝達してもらいたい、という願いをちょうど星々までみえているのだから飛ばしてほしい。「おれの声をな」

 みっちりと三日間、日々の執事業務とは別メニューとしてパーティー用の講習がおこなわれた。城谷がべったりとつきっきりで叩き込む。だが、城谷もそこまで暇ではない。そこで、ベテラン執事や家政婦が指導にあたる。そこで、はじめて名前をしった者もいた。
 丹原さんの車のドアの開閉マナーやドライブについても教わっていたが、ほかにも運転専任の担当がいる。その者は、近場 道之新(ちかば みちのしん)37歳。勤続15年だそうだ。ベテラン執事だが、運転専任者である。長年勤めている者がその専任担当としてなれるのだ。
 丹原さんよりは雑な性格らしい。適当だ。どうせ、すぐに辞めるよ、こいつ、そんな目で見られていたような印象だ。
 パーティーのときのテーブルマナーの講習教官は、ベテラン家政婦の能上 媛佳(のうじょう ひめか)30歳。と、ほぼ同世代の女だ。
「ふー、なんか気持ちがわかってもらえそうなひとがいてよかった。かなり年上か、年下で、中間のひととまだ会えていなかったから…」
「だからなに!」
 その女は、鬼の形相で馬駒を見下ろしている。家政婦、メイドのリーダー的存在である片桐の一番の配下だったことをあとできいた。とにかく性格は、怖い。のひと言に尽きるという。指導というより鞭を片手に躾けをしている。テーブルマナーを伝授されるが、身がもたない気がする。三日間とはいえ、二日目には干からびてしまいそうなほど神経をすり減らす状態で道端に捨てられそうだ。
「まいったな、この女…、温情は微塵もなしか」
「なんでわたしがこんなやつの面倒みなきゃならないの、いいかしら、あなた!」
 ビシッと眉間に女の人差し指が突き刺さるようにむけられた。
「最短時間で覚えてもらうしかない。あなたはわたしの一言一句聞き逃さないこと、そして聞き返すのもNG。そして、口ごたえは論外。あなたは”YES”以外の言葉を発してはいけない。これがルール、おわかり?」
 馬駒は脅えるように、うなずいた。
「返事は?」
 怒声があがる。
「YES」
「よろしい。最初が肝心、躾けというのはね」
 口角があがる女の不気味な笑顔は、ある意味、妖艶で生々しい。蛇皮をむしり滴る生き血をのんでいるようにみえる。
 あめとむち。という、ことわざがあるのは承知。しかし、この三日間の指導は躾けよりも厳しいものだった。ムチムチムチムチ、ずっとこれが続いていたのだ。
 馬駒はさすがに肉体、精神、心までも影響がでるくらい堪えていた。
「これも、なりあがるための修練だ」
 ベッドに寝そべって枕に顔が埋まりながら弱弱しく漏らしていた。けっして覇気もなければ強い意志を感じない。弱りきった声と覚悟と意識だろう。
「明日、起きたら、この修練の日々の集大成の披露だ。がんばろう…」
 深い眠りが馬駒をどこかへと連れ去る。首と手足に巻きついている鎖は、もはや監獄のなかにいる奴隷だ。
 もともと住む世界がちがう。敷居をむりやり越えてしまった天罰とでもいうのか、忍耐でどうにかなる仕事ではなかった。
「自分には向いていない」
 仕事がいやになると、このセリフが浮かんでくる。まるで俳句のように。
”この仕事、向いていないと、我(われ)思う”。
「辞めたい」
 だが、窮地に陥るときに励まされる現実が開ける。
「あれだけふざけて仕事をしていた若造がいるが…、そうだ、クロスの神永だ。あいつはこの指導を乗り切ったというのか。信じられない」
 と馬駒は城谷の言葉を思い出していた。あいつは執事に向いている、といっていたこと。素質がそもそもちがっているということになる。
「負けない、そうだ、負けられない理由がある。やるしかない。詰め込みの修練を終えた。あしたミスしないようにいちにちがんばればいいだけじゃないか。奮い立て、おれ! ゴールはまだまだ先だが、けっして樹海を掻き分けて道を作って目指しているわけじゃない。舗装された道路を歩いている。あとはたどり着きさえすればいい。そのためにおれはいる。この場所…、ここからだ」
 馬駒は、激しい自問自答の夢を見続けていた。
 混迷に陥っているときはだれでも陥ることだろう。以前、勤めていた例の会社で唐突に辞めてしまった社員や契約や派遣やパートなど、さまざまな雇用形態の就業者の退職理由が、今の精神状態の馬駒同様、混迷に陥ったせいだろう。

 

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