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サスペンス

8月のエンドロール 19

   

「失礼しました」
 比野県警トップの執務室から出てきた家光は、日頃の鬱屈した表情から一転、晴れ晴れとしていた。
 情報をリークしたことが判明し、懲戒免職を受け、捜査から外されるにもかかわらず家光は警官になってから一番気分が良かった。
 一種の不意打ちを、姫子にも自分が所属していた組織にも与えられたからだろう。
(なるほど。復讐とは甘美なものだ)
 これが自分なりの復讐の仕方だとすると、なんと慎ましやかな人生を歩んできたのだろうと驚く。最高学府に入ってキャリア官僚になった者の末路がこれなのだ。
 再就職先のあてはまったくない。職業安定所に行っても職はもらえない。これからどうするかさっぱりだったが、しばらくぼんやりするのもいいだろう。
 連日の疲れと緊張から解き放たれ危うく含み笑いをこぼしそうになる。慌てて頬の内側を噛んでいかめしい顔を保った。
 捜査から外れたので、一人刑事課に戻って荷物整理をしていると、着信ランプが光っていることに気づいた。牧嶋だろうか。再生すると耳に飛び込んできたのは、息子・タイゾウの声だった。
『親父。マリは×××ってクラブにいる。早く行ってやってくれ』
 着信を見ると、今日の十五時十二分。
 時計を見る。十九時二十三分。四時間も前だ。家光はすぐさま独立愚連隊の牧嶋に連絡すると、クラブに行くよう頼んだ。自分が発する声が恐怖に呑まれかけ、冷たくなっている。だが、牧嶋の言葉はつれなかった。姫子の張り付きで手一杯だと返されたのだ。今、牧嶋たちはいつ姫子を逮捕しようかと機を窺っているところらしい。
『小谷 姫子は自首を考えているようです』
「そうですか……」
 応じている家光の思考はめまぐるしく駆け巡った。
 クラブ×××といえば、広域暴力団の十田組が牛耳っている。十田組は過激な商売と暴力行為で名を馳せて、末端構成員も多くいる。そこにマリがいる。きっと息子も……。
 牧嶋との通話を切り、息子の携帯に電話したが案の定、通じなかった。
 腹の底から深い絶望の吐息をついた。
 きつくつむった目の裏が渦を巻いている。冷や汗が腋に染みを作り、握りこんだ両手に爪が食い込んだ。生唾を飲み込むと、なんとか立ち直ろうと頬を張った。
 課内の誰も、家光の葛藤に気づかず、クビになった課長は暢気でいいよなと陰口を叩いているだけだ。
「…………」
 姫子の自首と引き換えに、息子が死ぬかも知れない。息子が。死ぬ。現実が重くのしかかり、身体が小刻みに震えていた。
 家光はもう、捜査員でも刑事でも警官でもない。今日付で懲戒免職になったのだ。拳銃は所持していないし、動かせる人員はいない。警棒ひとつすら持っていない。
 なんの力も後ろ盾もない、家族を持つただの中年男だ。
 そんな男が立ち向かうためには、どうすればいいのか。
 身を挺するしか答えはない。
 青褪めた家光は入れっぱなしだった公用車の鍵を抽斗から取り出すと、クラブ×××へ向うため席を立った。

 

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