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SF・ファンタジー・ホラー

– アイサイ – 第2章

   

美人で若い妻と可愛い息子。
 満ち足りた生活のはず──なのに、男は不安感にさいなまれていた。
 男に足りないもの。それは──記憶──。

 自分が誰なのか疑問を持ちつつも、甘い生活に溺れていく──。

 

「ふぅ、美味かった。ご馳走さま」
 俺は満足げに大きく息を吐くと、膨らんだ腹を擦った。
「お粗末でした」
 隣で杏子が優しく微笑んだ。
 思い出せないが、どうやら杏子は料理が上手なようだ。俺好みのメニューに、俺好みの味付け。非の付けどころが無い。俺的に満点だ。
 美人な上に料理も上手。俺には出来過ぎた嫁だ。
「はい。これ」
 弥一の食事を終わらせると、杏子が透明なガラスのコップに入った水と、幾つかの剥き出しとなった薬を俺の前に出した。
「……なんだっけこれ?」
「何言ってるの。痛み止めに、化膿止め。怪我した後のお薬でしょう?」
「ああ、そうか」
 杏子が言うのだ。そうなのだろう。そういえばいつも飲んでいたような気がする。
 全身に怪我を負っているのは確かなのだ。俺は特に疑問にも感じず、それらを服した。
 本来ならお勝手の方で食べるはずだが俺の身体がこうなので、居間に在る炬燵で食事をした。
 弥一の世話をしている杏子をぼんやりと見る。弥一は離乳がとっくに終わっており、今は柔らかいご飯を食べているようだ。一歳くらいはこんなものらしい。
 この子の産まれたばかりの頃の事や、授乳している記憶がまるでないが、それもまたおいおい思い出して来るのだろう。
「…………あ」
 流されるまま杏子の話を受け入れていたが、考えてみたら今の俺はよくテレビや漫画で見るような“記憶喪失”というものなのではないだろうか?
 そう考えると今の状況は結構凄い事なのではないだろうか?
 そんな事を考えているうちにとても──眠くなって来た。
 うとうとと船を漕いでいたら杏子に声を掛けられた。
「あらあら眠くなっちゃいました? この後、身体を拭いてあげようと思っていたのですけど、身体が眠りを欲しているのね。いいわ、先に一眠りしましょうか。じゃあお布団に行きましょう」
「……うん」
 猛烈に眠い。もう何も考えられない。素直に返事するくらいしか出来ない。
 俺は杏子に支えられながらなんとか立ち上がり、居間から寝床にしている和室へと移った。支えられていれば、松葉杖とかいうのが無くても移動出来るようだ。本当なら身体の節々が痛くなっているはずだが、眠気の方が強くてあまり痛みは感じられなかった。
「よっこいしょ……っと」
 杏子に上半身を持たれ、足の方からゆっくりと布団へ横になった。眠い。とにかく眠い。
「じゃあどうぞ。眠いようだったら、このまま朝まで寝ちゃってもいいですからね」
「…………」
 杏子に返事するより早く、俺は暗闇の中へと落ちるようにして眠りに着いた。
 まだ早い時間帯のはずだが、眠気にはかなわない。

 

-SF・ファンタジー・ホラー


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