幻創文芸文庫 (β)

小説好きの創作小説を無料配信*スマホ対応

SF・ファンタジー・ホラー

cat 〜その想い〜 3

   

 昨日からの同居人となった猫。毎日の世話をすることになる。カーテンを開けてべランダをのぞく。綿のように丸くなる猫をみた。そして朝飯の用意からはじまる。
 岱馳は、孤独ではない感覚に呼び起こされる。猫との共存から、孤独に逃げていた自分を共存へと引き戻された。

 新年明けの初出勤日。だらしない自分から、キリッとスーツで決めこんででかける。ひとつひとつのこだわりが、自分を形作っていく。

 しかし岱馳には懸念があった。猫が一緒についてくる可能性がある。それは否めない。昨日のスーパーマーケットにもついてきた。猫なのか、犬なのか、それともほかの動物なのか、主が外出するたびについている動物なんて犬以外考えられないが、これは猫だということを岱馳は認めていた。

 会社にまでついてくるまい、と思ったが猫の方が上手だった。
 猫は駅のホームで岱馳の足の間に身を置いて、車両が来るのを待っている。
 そして、地下鉄への乗り換えもして、会社まで周囲の目を気にしながら、全身で無視し、足元の猫への気持ちを氷結させる岱馳だった。どうやっても人間社会の混乱と混雑を掻き分けて、猫は猫なりに試行錯誤、苦労しながらも主に忠実についてくるようだ。むしろ岱馳が見失っているなか、どうやってついてこれていたのか。そこは猫の視線でなければわかりえないが、とにかく猫はついに会社までたどり着いてしまったのだ。

 岱馳は落胆していた。この先、猫同伴で出社するリスクを背負ったのだから。

 

 翌朝も昨日と同じように起きた。昨日とはまた違う朝の空気を吸い込む。室内のにおいや酸素が体に馴染むのがわかる。おそらくというか、確実に思い描く天候だと察した。
 カーテンを開けると昨日の晴天が続いていた。胸の中で弾むポンプ式のバルブが弾けているようでとてもいい気分だ。空気がうまい。とてもあたたかみのある空気が流れている。それはとても優しく、この世の悪しき信念を包み込んでしまいそうな、そんな柔らかいものがこの地球全体を覆っているようだった。
 この体内に流れる血しょうも洗われているだろう。

 ベランダにふと視線を落とした。そうだ、猫がいたはず。昨日からの同居人だ。
 夢か幻か、どちらでもかまわない。現実に昨日起きた不思議な猫との出会いが幻であればよかったと、本音で心の中で叫んでいるのはたしかだった。
 ベランダの隅でちいさな綿のようなものが丸くなっているのが目にはいった。やはり猫はいる。昨日のことはすべて現実だった。それを受け止めながら猫の存在を認めるしかない。
「しかたがない。めしの時間だ」

 冷蔵庫から昨日夕方に恥ずかしいおもいをしながらスーパーで買った猫用の食材を用意した。ついでに自分の食事も用意した。
 ツナご飯、猫用に牛乳皿を購入し注いだ。猫用の缶詰をひとつ買って、夕食猫にだしたが顔を背かれた。どういうわけか食べなかったのだ。猫ならたいていは食べるはず。しかも栄養など考えられている。ペットを飼うならとうぜん飼い主は考慮すべきところであるが、猫が拒んだ。
 とりあえず気にせずツナ缶と牛乳のメニューを昨日から食べさせていた。好き嫌いがあるのはむずかしい。すこしずつ試していくしかない。
 今朝は窓を開けて猫が食べている姿を見ながら、ベーコンエッグと食パンとサラダを岱馳は食べた。食パンをオーブンで焼きベーコンエッグを挟む。それを食べていると、猫が反応をしめした。どうやらベーコンエッグの匂いが気になるらしい。少し与えてみた。すると食べた。うれしくなった。猫のメニューがひとつ増えた。岱馳の笑みもひとつ増えた。この一年、笑みが浮かぶことがなかった。それはいつも独りでいたせいだろう。独りに逃げだしたからだろう。相手がいれば知らずしらずに感情が芽生えてくる。それはどんな生き物にたいしてもそうなるのだ。これが共存。それから逃げたのだ。

 新年明けてからの初出勤日だ。昼から出勤だ。顔を洗いシェービングクリームをつけて念入りに髭を剃った。整髪もすませて、スーツに着替える。スーツ姿は好青年風で、意外とかっこよく見られている。それなりにお洒落にも気を配っていた。タイトなスーツを好む。ナローラペルを貴重にして黒、紺、グレイ、ブラウンのスーツをそろえている。衣装ボックスのなかから黒のストライプのスーツを選んだ。
 新年初出勤だが、それほど気遣いする会社でもない。いつもどおりのかっこうで出向くことが自分なりに合っている。ワイシャツはクレリックにした。襟と袖は白、それ以外は薄いグレイの生地。ネクタイも細身で五センチにした。黒の艶感のあるナローネクタイだ。シュルシュルと擬音がなる。巻いていく手際のいい指先が奏でていた。これが印象値を上げるのに決め手となる。タイピンをつけ、ブラウンのベルトと皮靴で準備は万全だ。
 二週間ばかりの休日のあいだポールスミスのバッグは衣装ボックスの下のほうにほかのバッグとともに色褪せることなく主が出勤するためにその手に所持されることを望みながら大事に中身を保存し、静かに眠っていた。
「きょうから、またよろしくな」
 玄関のまえに全身を映せる鏡がある。新品状態の自分を下から上へと視点をずらす。どこから見ても揺るぎないその姿に納得した。玄関扉を開け、ドアノブに手を置いた。その時、ひと呼吸置いた。鼓動が早くなっているのに気づいた。緊張している。社会と関わることに緊張を増すことになるとはおもいもよらなかった。意をけっしてドアを開けた。まぶしい光が唐突にひとりの人間を照らす。大舞台の幕があがり大喝采を浴び、スポットライトを全身にそそがれている。
 社会人として再び世に出る覚悟を決めて、生きている限りそこから逃げることができないとあらためて理解するしかない。これは強要なのだ。意思とは無関係に強制的義務が生ある者にはついてまとっている。

 

-SF・ファンタジー・ホラー


コメントを残す

おすすめ作品