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SF・ファンタジー・ホラー

cat 〜その想い〜 4

   

 岱馳は職場に着く。猫に説得を試みる。これより先は会社だ。猫が介入していいわけではない、それを心で伝える。猫は思いのほか、それいじょう前進しようとはしなかった。
 人間社会と動物の世界は違うことをまるで理解しているように、猫は日の当たる場所で待つことを示すように座っていた。

 会社内に入ると同僚たちに新年の挨拶を交わす。職場の空気に包まれたせいか、一瞬で猫のことが頭から離れた。
 だが、周囲の連中は、岱馳に声をかけるものの、決まって昨年起きたことへの配慮か、元気なのかどうかが第一声となって言ってくる。
 冴えない顔だろうが、浮かない顔だろうが、元気もなく覇気もなくても、おれはおれだということだ。
 そんなことを言いたくても言えずに、胸に押し込めて、心配をかけた大丈夫だから。としか返せないのだ。

 久々の業務だが、あっというまに時間が過ぎていく。昼休憩になると、岱馳は猫のところに赴く。一緒に食事をとるためだ。
 猫もきちっと日の当たる場所で待っていた。身を丸くさせ、岱馳がくるのを待っているのだ。

 これだけの想いが、猫にはなにがあるというのか。岱馳は心底奇怪だった。

 

 会社は三十六階建てのガラス張りのオシャレな建物だ。対となる向かいには高級ホテルがそびえたっている。正確な階数はわからないが見上げると会社のビルよりは低い。ここら一帯はレンガ造りになっている。会社のビルはそうではないが、ホテルは一階がレンガ造りになっている。歩道もレンガで敷き詰められた構造になっている。ビルとホテルのあいだに円形のロータリーがあり中央には噴水がある。いくつか彫刻もある。子どもと女性おそらく母親だろう。モデルがいるのかとてもセクシーなスタイルをしている。薄い布を身につけているだけ、身体の線が彫刻家ならではのエロティシズムを醸し出している。子どもに規制などないのだろう、全裸だ。無邪気な笑顔が表現されているだけで、卑猥ではなくなる。なぜか女性と子どもという対の組みあわせの銅像が三セットある。どういう意図があるのかわからないがこの噴水の水を一年じゅう水浴びしているのは平和を意味しているのかもしれない。
“男は会社へ行け”と彫刻されていないことで、解釈できる。

 猫を連れて会社にはいる。猫を放置して会社にはいる。どちらの選択がただしいのか。どっちにしても猫はついてくる。ここまでの道のりを追尾してきた。おそらく追跡用探知機が身体のどこかにくっついているのかもしれない。猫だけが感知できる探知機があるのだろう。マーキングだったり、猫に触れたときの自分のにおいを人にのこしたのかもしれない。こうなったら手段は選べない。ひとつだけ賭けにでるしかない。
「説得してみるか」
 猫に人間の言葉などわからないが心で伝えるしかない。そんな馬鹿なことをいっている場合ではなくなってきた。出勤時間が迫っている。心の動揺が猫一匹に振り回されているなんて情けない。
「いいか、猫。これから仕事なんだ。おまえは会社のなかにはいれない。だから外にいなければならない。わかったな」
 つぶらな瞳をみつめてたしなめるように声を太くしていった。猫は首を傾げながらすましていた。わかったのか、わかってないのか猫の感情がわからない。猫を置きあとずさった。猫は動かない。主の言葉、声が、眼が、気持ちが伝わったのだろうか。奇跡だ。猫と意思をくみかわした。毛深い手の先を丸め、歩みを止めた。
 どういうことかわからないが助かった。これから先は人間社会の基軸になる世界。猫なんてものが立ち入れることはご法度。蟻ですらつまみだされる世界の入り口だ。後ろめたさはないが胸に引っかかるのはなんだ。いざ職場へ向かうとなると猫のことは頭の室内の箪笥へとしまわれた。顔はきりっと引き締まりスーツに似合う表情に変わっている。おそらく時間が周囲のせわしい流れに乗ったからだ。仮免許取得まえは教習所内の運転は十キロの速度しかだしていない。いざ路上運転に移ると周囲の速度にすんなり乗っかってメーターを見ると五十キロをだしていた。だれでも最初は初心者だ。
 新入社員として勤務するときの緊張感が、きょうという日になぜかよみがえった。その不安感なのかわからないが、会社のなかにはいる際に一度だけ振り返った。気掛かりが猫だということは明白だった。脳裏から浮かびあがっていたのかもしれない。しまったはずの箪笥が開き猫の記憶を呼び起こしたのかもしれない。思い出も浅い猫との絆がこういう場面で引きあわせようとする。

 弱くなっていた。一年前のあの人のこと、あのできごとのせいで惰弱な人間に身も心も削がれてしまった。
 猫は置いた場所から身動きすることなく銅像のように座していた。あくびをしているのは人間が相手だからか恥も外聞もあったものではない。
「猫は気楽でいいものだ」

 

-SF・ファンタジー・ホラー


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