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SF・ファンタジー・ホラー

cat 〜その想い〜 6

   

 一年前に死んだ、悠基 杏那(ゆうき あんな)。岱馳の恋人。

 三年前に派遣スタッフとして岱馳の職場に入職してきた杏那。新人指導を任されている岱馳はふたりっきりで研修がはじまった。
 岱馳は瞬時にひと目惚れした。一見どこにでもいそうな彼女だが、内に秘める何かを岱馳は好意という視線からか、高く評価していた。まさかに、岱馳だけのアイドルだ。
 思わず、声からもれていた。杏那に好意を寄せていることを。それを寄りにもよって梶原に聞かれてしまった。だが、まだ相手の名前は聴こえていなかったようだ。しかし、梶原のニヤケ顔が気に入られなかった。

 ふたりだけの研修は続くが、どうも岱馳が上の空という状態だった。だが、長引く研修日程が好都合だった。それだけふたりだけの時間を共有できるからだ。
 そして、ふたりは除々に距離を近づけていった。自ら勇気をだして携帯番号とメールアドレスをゲットできたのだ。喜びに打ち震え、自画自賛している。

 そして互いの共有できる趣味趣向の会話がさらなる相手との結びつきに繋げるのだ。
 会話のなかで、多少の嘘をつくことで彼女と仕事以外での機会をみつけられるのなら、そういう嘘は神様だって許してくれると信じている岱馳。
 恋愛とは些細なひとつのきっかけから、デートに繋げるための約束を取り付けるなら、そういう嘘をついているものが大多数を占めている。
 相手に合わせようという、それが嘘の発言からによっても、心の純粋なまでの好意が誠意として伝わっているのだとしたら、これは嘘ではなくなるのだ。岱馳はいま、嘘を本当にするのだ。

 

 悠基 杏那(ゆうき あんな)。岱馳の恋人だったひとだ。そして、杏那が死んだのは一年前、冬の夜のことだった。大切なひとだ。
「愛している」たまにちいさいが声となって漏れていた。とうぜんいまもその気持ちはかわらない。愛情をむけたら倍増して返ってくる。一方的にむけて気持ちが返ってこないのは片想いだ。

 いまの岱馳はどうだ。

 愛した人を失い、岱馳の気持ちをむけても返ってこないから整理がつかない。これほど虚しく悲しいことはない。他人と出会う瞬間が大事なのだと彼女に教わった。

 三年ほど前、岱馳と杏那は出会った。
 岱馳は大学卒業後、いまの会社に勤めた。入社後、一年も過ぎたころにはその場の仕事にも慣れはじめ派遣スタッフの新人の指導を任されるようになった。いわば教育係りの任務に就いた。そんな折、派遣ではいってきた彼女と出会った。
 研修は時期によっては五・六人を、多いときには十人くらいをまとめて指導していた。
 杏那のときはマンツーマンで指導することになった。岱馳が受け持つチームの人員が一名分空きができた。派遣社員が入社して間もなく辞職して消えてしまった。これは岱馳も知らないことだった。理由は不明。だが、仕事の覚えや効率がどうもついてこれていないという検討はつく。これまでもそういう人材は、たまにいるのだ。その一名分の席があいての補充だ。
 この出会いから岱馳と杏那の時間軸の歯車が重なり回りはじめた。
「悠基 杏那(ゆうき あんな)といいます。よろしくお願いします」
 ユウキ アンナ。いい名前だ。とても響きがある。名前だけで岱馳の心をつかまれてしまった。心臓が爆発する。どこにでもいる女の子だ。外見はかわいさのなかにおとなしさが含まれ、それでクールな表情が見え隠れしている。でもなにかがちがう。岱馳の胸のなかでわかる。鼓動は弾み、さまざまなビートを奏で、さまざまなミュージックをたのしんでいる。彼女はまさに岱馳にとってのアイドルだ。引きあうなにかがある。目と目があった瞬間、それはたがいに理解しあっている。
「教育係りの岱馳です。きょうから十日間、業務の研修を行います。よろしく」
 岱馳の研修は定評があり新人はみな口をそろえてわかり易いという。質問も聞き易い。職場の雰囲気もよくて働きやすいといってくれる。人望も評価が高く、仕事のことやプライベートでの相談なども持ちかけられる。要するに岱馳が真面目な人間として認識されていた。男女共に慕われていた。リーダー格の梶原は頼りにはなっても、すぐに茶らけてしまう節があったから仕事のことでは岱馳を支持するものが圧倒的だった。
 女性の派遣スタッフや、同僚の女子を、彼女にしたいような気持ちは微塵子のさらに子どもほどなかった。杏那との出会いはちがった。
「こんなに胸が熱くなったことはない」
 思わずひとり言が口から漏れていたことに気づかなかったくらいだ。杏那への気持ちがひとりでに口から歩きだしていた。
「ほう、だれか気になるコがいるのかい?」
 梶原に聞かれるとは不覚。
「まぁな」しかたがない。意中のひとがいることを話すくらい問題はない。「ちょい気になっているコがいる」
「へえ、だれ?」
「いいじゃねぇかそんなの」
 頑なに名は明かさなかった。それだけはいえない。仕事に動揺をもたらすことなどあってはならない。
「フフッ」梶原はいやらしい笑いを浮かべていた。まるで岱馳の意中のひとを見抜いているかのようだった。

 

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