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たまねぎ

   

小中高と、同じ学校に通う同級生だった、葛西と多木村。
同じ校舎に通う顔見知りではあったけれど、挨拶も交わさないような希薄な関係でしかなかった。
高校卒業を目前に、葛西と二人になる機会が生じた多木村は、小学生時代からずっと気にしていたことを、葛西にたずねてみようと思った。
小学生時代のある日、葛西は授業中の教室の真ん中で、突然悲鳴をあげて失禁したのだ。
どうせ卒業したらもう葛西に会うこともない。彼の恥ずかしい過去を穿り返して問いかけたところで、葛西は変人だから傷つかないだろうし、多木村自身の痛みにもなり得ない。
どうせこれきりなんだから、せっかくだし、聞いてみよう。
嘲笑を含めた軽い気持ちで、多木村は葛西に声をかけた。

 

 おとなしいけれど、少し、変わった奴だった。
 近付き難い雰囲気がある奴だ。
 口数少なく、いつも俯いていて、人と話す時はあちこちに顔を背けて、目を合わせようとしない。常に何かに狙われているかのように、憶病で警戒心が強く、歩くのが早い。足早なのは、見えない追っ手から逃げ回っているためだと思っていた。
 おとなしいけれど、印象が薄いわけではない。
 小学生時代、ある日の授業中、突然甲高い悲鳴をあげて腰を抜かし、失禁したことがある。授業中、教室の真ん中で、クラスメイト達の目の前で、だ。俺がそいつの声をまともに聞いたのは、多分その時が初めてだった。
 もともとクラスで孤立していた奴だったが、その一件以来、そいつが纏うオーラは以前にも増して孤立濃度を高めたようだった。
 おとなしく、恥ずかしい事件まで起こしているのに、奴がいじめられることはほとんどなかったと思う。正面切っていじめるよりも、クラスメイト達は遠巻きに冷たく噂話をするばかりだった。
 おとなしいけれど、そんなわけで、忘れ難い奴だ。
 奴の名前は、葛西行則(かさいゆきのり)。
 俺、多木村准(たきむらじゅん)と二人で、今、高校のトイレ掃除をしている。
 親しいわけではない。中学も、高校も一緒の学校に通っているが、朝の挨拶だってしたことはない。同じ町内に住んでいるのなら、小中と同じ顔触れが続くのも珍しいことではないだろう。学力が同程度なら、近場の高校でまた同じ顔触れが続くことも多い。あまり高い学力を必要としないこの男子校で、三年間、同じ学年に在籍した。親しくないが、「姿が見える」という点だけで言えば、俺とこいつは十二年の付き合いだ。
 高校三年。二月。
 卒業まで秒読みどころか、卒業式は四日後だ。俺も、親友の遠藤一樹(えんどうかずき)も、卒業後は幸い同じ大学に通えることになった。友人だからとわざわざ同じ大学を選んだわけではないが、互いに自分の能力と環境、将来というものを熟考して、導き出した結果が同じだっただけだ。とはいえやはり、未知の場所に赴く際、気心の知れた友人が近くにいるというのは心強い。葛西の進路は知らないが、彼も自分なりに考えて、すでに進路を決めているはずだ。
 卒業式を目前にして、俺と葛西が在籍するクラスの担任教師は言った。三年間の思い出の詰まった校舎を、自分達の手で綺麗にしてから去ろう。卒業式までの一週間、クラスの生徒達はいくつかの班に分けられ、それぞれに校舎内の場所を割り振られ、放課後、掃除していくことを決められた。
 そして今日は、俺と葛西を含めた班が掃除当番の日で、全部で六人となるその班の中でもさらに人員を分けられて、俺と葛西は教室棟三階のトイレ掃除を担当することになったのである。
 葛西行則という存在を忘れることはない。だけど「忘れない」というただそれだけのクラスメイトであって、恥ずかしげもなく「親友」と呼べるような一樹とは、もちろん完全に異なる存在だ。
 口数少なく、友達はいない。授業中悲鳴をあげて小便を漏らし、いじめられもしない。誰からも遠巻きにされる、おかしな奴。
 意識下にその名は刻まれているものの、決してそれ以上の意味を持つことのない昔馴染みと、ひょんなことからこんな小さな空間に二人きりになって、ふと、色々なことを考えた。
 高校を卒業する。
 大学には、部屋を借りてそこから通う。家を出て、新天地での暮らしが始まる。小中高と続いて来た幾人かの「顔だけ」幼馴染とも、これで本当にお別れだろう。
 寂しくはない。
 もちろん、親しくしていた奴や、気に入っている奴、尊敬出来る教師との別れは名残惜しいものがある。
 だけど、あくまでも顔を知っているだけの、ろくに話したこともない、ただ長年同じ校舎内にともに在籍していただけの同級生とは、ここで縁が切れても痛くも痒くもない。
 何の関わりもない相手だ。
 だからこそ、ふと興味が湧いた。
 濡れたモップで床を拭く葛西の後ろ姿を、流し台の鏡を拭きながら盗み見る。
 しゃれっ気のない黒髪、表情のない暗い目元、いつも結ばれたままの唇に、みすぼらしい猫背。「根暗」という言葉を背負って歩いているような奴だ。
 俺が知る限り、小学校高学年、中学、高校と、葛西は常に一人だった。彼のそばには、いつも誰もいない。
 葛西行則というこの男が、実際はどんな奴なのか、俺は知らない。きっとクラス中、学年中探しても、葛西のことを説明出来る奴なんていないだろう。
 人前で大きな声で独り言を言うわけではない。授業中突然席を立って教室内をうろつくわけでもない。遅刻早退はしないし、他人に暴力を振るうでもない。多少暗くて近付き難い雰囲気はあるものの、日常生活におかしなところはないように見える。毎朝制服を着て鞄を持って登校して来て、黙って授業を受けて、机に突っ伏して昼休みを過ごし、放課後はそそくさと下校する。人付き合いこそ皆無だが、特別変わった奴ではないように見える。
 それならなおのこと、なぜあの時葛西は、悲鳴をあげて失禁までしたのだろうか。
 不意に、その疑問が強く肩を揺さぶった。
 それを聞く機会は、きっと今しかない。
 みんながいる教室内などでは、葛西に話しかけるだけでも変に注目されてしまいそうだ。葛西ほどではないにしろ、俺もクラス内ではおとなしい方だし、悪目立ちしたいわけでもない。だから、人前で彼に声をかける勇気はない。これまで付き合いのなかった彼に対して、卒業後に連絡を取るなどということもあり得ない。彼のために時間を割くことも、彼に自分の連絡先を教えることも、気が進まない。
 密室に二人きりでいる今なら、遠慮会釈なく、葛西に声をかけられる。
 そう思って、小さく声を振り絞った。
「葛西」
 呼びかけてから一呼吸。モップを動かす腕が、微かに震えた。ゆっくりと肩越しにこちらを見る。
「え?」
 どんよりと暗く淀んだ眼差しで、俺を見て小さく声を発した。

 

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