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童話 / 寓話

はなのほし

   

 古老の根元で風にそよぐ小さな草木達も、虫とは互いに切っても切れない縁があるはずだ。確かに虫は草花を齧って枯らしてしまう事もあるけれど、その花粉を遥か遠方まで運んでくれるから、草花の命は遠いその場で再び新たに出発出来る。命の尽きた虫が、草の根元で土に眠れば、その命は養分となって草花の根から吸収され、やがて花を咲かせる。
 互いに支え合うようにして、異なる命は何処までも繋がっていく。
 種の命を繋いでいく事が、生物、いや、植物にとっても共通の、最大にして唯一の目的であるから、他の命と繋がらずには存在していけない。
 例え今、宿敵を恐れ、憎み、嫌悪したとしても、未来へと自らを繋いでいく為には、その暗い想いでさえも必要不可欠なのだ。
 それが生物であり、命であるのだと、古老は考えていた。
 行動には全て、理由があるのだと、思っていたのだ。
 それが生物であるのだと、古老は思っていた。
 けれどどうだ。
 昨夜見た黒い芋虫達は、自らを従えるちっぽけな一輪の花を守る為に、同族であろうはずの黒い芋虫を相手に、殺戮の大顎を振り回した。
 同じ黒色をして、同じ細長い体躯をした、同じ芋虫達が何匹も何匹も、互いの柔らかな皮膚を噛み切って殺し合ったのだ。
 古老はそれを見ていた。
 信じ難い光景に、言葉を失いただ呆然と見ていた。何も出来ずにただ震えていた赤い花の兄弟と同じように、古老もまた、何も出来ず、言葉一つ発せずに、傍観していた。
 自分に何ももたらしてはくれないはずの一輪の花の命令に従って、黒い芋虫は、自分の兄弟らと、殺し合った。自分の兄弟を殺して何の利益があるというのか。そんな事をすれば、自分達の一族が滅んでしまうかもしれないというのに。止むを得ない事情で、兄弟を殺して自分が生き残らねば、結果的に共倒れになり全滅してしまうというのではない。そんな切羽詰った事情など、あの場には一切なかったはずだ。自分が生き残る事など念頭になく、彼らはただ、一輪の花を守る為だけに、兄弟と殺し合ったのである。
 その証が、今も古老の根元にははっきりと残されている。
 小さな芋虫達の、憐れな死骸が山のように、薄汚れた一輪の花を取り囲んでいる。
 恐ろしくてならなかった。
 根元から冷たい風に吹かれるように、幹の芯からゾッと震えた。
 花々を食い潰す黒い芋虫は、「昆虫」だと思っていたけれど、今や古老の頭には、別の想像が膨らんで脈打っている。
 けれどその想像は、ぐねぐねと蠢いて常に変化し続けているような、明確な形を認め辛い、曖昧なものだ。しかし確かに、奇妙な想像図はゆっくりと描かれつつある。
 あれが生物であると考えるから、種の存続をないがしろにした、その行動の不可解さが恐ろしいのだ。
 だがもしあの黒い芋虫が、生物ではない別の存在だとしたら、そう考えれば説明もつくのかも知れない。
 けれど「生物ではない別の存在」とは、一体何だ。
 生物ではない。昆虫の姿を持っているし、生物そっくりに這い回り、口でものを噛み砕いて食べるから、植物でもない。だが生物でないなら、昆虫の姿も偽りなのだろう。偽りの姿とはなんだ。偽りの姿とは、擬態の事だろうか。だが擬態などというものは、自らの命を守る為や相手の目を欺く為、生物が用いる処世術ではないか。だが生物であるのなら、意味もなく同族同士で殺し合う事はないはずだ。そもそも同族同士でないからこそ、殺し合う事が出来たのだろうか。だが例え別種のものだったとしても、彼らが花に忠実に従う理由は解らないままだ。
 考えても考えても解らずに、古老は黙然と草原の隅に立ち尽くす。
 そんな古老の枝の上に、艶やかな黒い翼をはためかせて、一羽の鳥がやって来る。
「こんにちは、旦那さん。どうです? 謎の芋虫は見つかりましたか?」
 枝に落ち着き、開口一番、黒い鳥は問い掛けた。
 古老は疲れてしわがれた声で答える。
「わしの根元をごらん。たくさんの芋虫が死んでいるだろう。あれがそうだよ」
 枝の上で鳥足をずらして、古老の根元を覗き込む。すぐに、黒い鳥は翼を広げて地上に降り立ち、芋虫の死骸が幾つも折り重なった小山のようなその場所に、歩いて行った。
 わずかな緑の草と、薄黒く汚れた白い蕾の花と、蕾も葉も茎もひねくれたような姿をした赤黒い蕾の花が並んでふたつ、静かに立つその場に、花々を埋め尽くすように転がる、真っ黒な芋虫の無数の死骸。
 花を踏まないように用心しつつ、感触を確かめるかのように、ゆっくりと足を交互に踏み出して、黒い鳥は芋虫の死骸の渦の中へと入って行った。
 先が三つ又に裂けた細い足指の下で、芋虫のじっとりと濡れた柔らかな皮膚が、抵抗もなく押し潰されて地表に沈んでいく。踏み締めた小さな死骸の端々から、体内に残っていた僅かな体液が、じゅ、と湿った音を立てて押し出される。
 芋虫の絨毯の上に、黒い鳥は両足で立つ。
 少し考え込むようにしてから、そっと首を前に傾けると、くちばしに死んだ芋虫を一匹咥え込んだ。
 噛み潰してしまったり、飲み込んでしまったりしないよう、くちばしの力を加減しながら、黒い鳥は再び古老の枝の上に飛んで戻った。
 一番太い枝の上にとまると、なるべく平らな所に咥えて来た芋虫の死骸を置いて、一言呟いた。
「一体何があったんです? 一か所にあんなにたくさん、虫が死んでいるなんて。誰か虫殺しの薬でも撒いたんですか?」
「違うよ。芋虫と芋虫とが噛み殺しあったのさ」
「へぇ。そりゃ本当ですか?」
 古老の言葉に驚いて声を裏返すが、すぐに思い出して、黒い鳥は聞き返す。
「でもそういえば、あたしが昨日ここへ来た時には、あそこの花、もっと数が多くありませんでした? 芋虫が食べちゃったんですか? 食べものを奪い合って、しまいにゃ殺し合った、って言うんですか? あんなにたくさん」
「食べものを目当てに殺し合ったのなら、まだ憐れむ事も出来たろうに」

 

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