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童話 / 寓話

はなのほし

   

 古老は苦しげに言葉を切った。そして枝の上の黒い鳥に、今度は古老の方が問う。
「お前さん、どうだね、もっとよく近くでその芋虫を見てくれないか? 解る事があるなら、何でも教えておくれ」
 黒い鳥は頷いて、早速芋虫の死骸にくちばしを寄せる。
 芋虫の死骸は、だらりと伸びきった腹の側面に傷を負っていた。黒い鳥の丸い瞳から見れば、それはとても小さな傷だったが、何せ芋虫の身体自体がとても小さいのだ。針の先で突いたような小さな傷に見えても、芋虫にしてみれば容易く致命傷となってしまう。黒い鳥の足指の爪と大差ない小さな芋虫は、見れば見るほど真っ黒な色をしている。黒い鳥は、自分の羽の綺麗な黒色に誇りを持っていたけれど、芋虫の黒色も負けず劣らず綺麗な漆黒であった。身体の背中側も腹側も、どちらも真っ黒だ。顔面や顎、身体の前半分から生えた三対の腹脚だけは、焦げ茶色をしている。見た所、古老の根元に転がる無数の芋虫の死骸はどれも、同じ漆黒の肌色をしている。同じ種族の芋虫なのだろう。
 小さな傷口からほんの少しだけ、残された体液を押し出して味わってみた。
 というのも、つい今さっき、この芋虫をくちばしに咥えて樹上に運んだ時に感じたものを、今一度確かめてみようとしたのだ。
 黒い鳥は、これまでに何度か、昆虫を食べた事もあった。
 こんな小さな芋虫も、口にした事があった。
 裸の非力な芋虫はどれも、身体一杯に濃厚なチーズを詰めているようで、くちばしに挟んで潰すと柔らかなチーズが口の中一杯にどろりと広がって、とても美味しい。芋虫を食べるのは好きだったけれど、だから今もこの黒い芋虫を樹上に運ぶ時、うっかり食べてしまわないように気を付けていたのだが、その際に、違和感を感じたのだ。
 芋虫の死骸をくちばしに咥えた時、土の臭気が口の中に舞い込んだ。
 古老の話しによれば、この芋虫は夜間、土の中から出て来るようなので、土の匂いがしてもそうおかしくはないだろう。
 だがそれは、「匂い」というより「味」に近いほど濃厚に感じられた。
 土、いいや、もっとずっしりと重く湿った、泥だろうか。
 水分を多く含んだ、濡れた泥の味がした。
 それが勘違いでないかと、確かめてみたかった。
 くちばしの先で芋虫の身体を押して、ほんの少し、亡骸に残された体液を押し出して、それを口に含んで味わってみる。
 芋虫の身体から連想出来るような、濃厚なチーズを味わうような喜びは、感じられない。
 何の味もしなかった。
 甘くもなければ辛くもなく、滑らかな粘液ではあるものの、粉のように微細な砂利のざらついた感触が、くちばしの合わせ目から響く。
 右へ左へ首を捻って、黒い鳥は古老に告げた。
「旦那、この芋虫は何を食べて大きくなるんでしたっけ。花? 花を食べてるんですか、本当に? こいつはどうにもいけませんや。あたしの口には合いません。旦那、この芋虫の身体の中に詰まっているもの、こいつはひょっとすると、泥じゃないですかね。美味い虫じゃありません」
 不愉快そうに唾を吐いて、黒い鳥は言う。
「泥だって? その芋虫は、泥の味がするのかい?」
「どうもそのようですね。まるで泥そのもののような、詰まらない味ですよ。見た目は、あたしみたいに真っ黒だ、って事以外、普通の芋虫と何も変わりゃしないんですがね。中身はまったく、虫というより泥人形みたいですよ」
 そう言うと黒い鳥は、また芋虫の亡骸を見つめて調べ出したが、真新しい発見は何もないようだ。
 古老は古老で、黒い鳥が例えた「泥人形」という言葉に、妙に納得していた。黒い芋虫が、昆虫ではなく泥で作った人形であるなら、自分の命や種の未来を省みず、人形の創造主たる花の命令に忠実に従っていても、不思議な事はない。そんな事を、あくまで例え話しだと解って考えていたけれど、それが真実であったなら良いのにと、強く思った。
 やがて、芋虫の死骸を丹念に調べていた黒い鳥が、溜息交じりに言う。
「あたしも虫に詳しい訳じゃないんでね、ひょっとしたらそうじゃないのかも知れませんが、あたしの目には、全く当たり前の芋虫のようにしか見えませんよ、旦那さん」
 黒い鳥の無念そうな呟きに、古老も低く唸って言葉を探した。
 そうしている内に、いつしか午前時も終わるようで、天高く昇った太陽の陽射しが、いよいよ強さを増して草原を照らすようになって来た。
 朝の内には湿り気を含んでいた草原の土も、正午頃には激しさを増す陽射しに乾燥してしまう。そして夜には冷たい夜気の水分を吸収し、土はまた潤いを取り戻す。
 季節や天候の差こそあるけれど、それは毎日変わらず繰り返されている現象であった。
 今日も日が照り、大地の水分が幾らか大気中に飛んで行ってしまう。
 それを珍しくもなく、木肌で感じていた古老だったが、不意に鋭く声を尖らせて黒い鳥を呼んだ。
「おい、お前さん、見てごらん。わしの根元を見てごらん。そら、あの芋虫の山をごらん」
「はいはい、何です。何を慌ててるんですか」
「良いから早く見てごらん」
 急かされて、黒い鳥も枝の端から古老の根元を再び見下ろす。
 さっきと変わらない、みすぼらしい花がわずかに生えていて、それから白い花を囲むように黒い芋虫の死骸が山となっている。
 なぜ古老が忙しなく自分を呼んだのか、黒い鳥はすぐには解らなかった。
 解らないのも無理はない。
 変化は、少しずつゆっくりと起きているものだった。
 小山のように折り重なる黒い芋虫の死骸の山が、少しずつ少しずつ、ゆっくりとゆっくりと、その色を変えていく。
 水分を含んだ艶やかな漆黒の色が、その潤いを失せて徐々に白んでいく。
 正午の強い日射しが真っ直ぐに突き刺さる部分から順繰りに、芋虫の死骸は変貌していく。
 いいや、そんなのは簡単な事だ。芋虫の体表に付いた泥が、日の光に水分を失って、漆黒の艶やかさを失っていくだけではないか。
 違う。
 体表の泥が乾燥して変色したのではない。

 

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