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童話 / 寓話

はなのほし

   

 夜の闇を凝縮して丸めたような、真っ黒な芋虫。
 数え切れないほど無数の黒い芋虫が、弟の方の根元から次々と這い出て来る。
 何度となく見せつけられた、恐ろしい黒い芋虫。
 けれどそれは、今まで見てきたものとは違っているようだ。
 赤い花の弟の根元から這い出て来た、黒い芋虫のその身は、雨に打たれて溶けて崩れた土塊のような、不完全な姿だった。
 まるで泣いているように、黒い芋虫の皮膚は溶けて爛れ、怯えて震えるように、大顎は左右不揃いなまま開閉する。ずるずると蠢く腹の下で、腹脚は潰れ、もはや意味をなさない肉の凹凸に過ぎない。
 そして何よりその身体は、今までに類を見ないほどの巨躯だった。赤い花の兄弟は勿論、立派な体躯を持つ白い花でさえもあるいは、容易く押し潰してしまえるほどの、どれも逞しい巨躯だった。
 大きな身体で、けれど悲しそうに泣いている。
 赤い花の兄は、そう感じた。
「花を無残に食い潰す黒い芋虫は、生きた虫などではない。では何かと問われても、答えられません。けれど、僕は薄々勘付いていたんです。それは、『生み出されるもの』であると、いつしか感じるようになっていたのです。僕の中から何かが這い出て来るような感覚を覚えた時から、薄々、気付いていました。地中深く伸びた僕の根っこの先が、何度も疼いたのです。何かが湧き出て来ようと、度々蠢いていました。あれは虫ではない。僕達の醜い心が生み出す怪物であると。他者を蹴落として自分だけが美しく咲きたい、という自分本位な無情さ、強欲さ。受け入れられず、届かぬ想いに絶望し、自らの無力さを認められず、悲しみを背負い切れずに、それを怒りと憎悪に捻じ曲げてしまう脆弱さ。お兄さん、僕は、ひとを思いやり、優しさを貫く強さを、持ち合わせてはいなかったのです。僕達が味わった痛みや苦しみ、悲しみが、すべて無駄だったなんて、思いたくなかったんです。認められなかったのです。自分の弱さも、残酷な現実も。だから僕には、こんなものしか生み出せなかった。ごめんなさい、お兄さん」
 皮膚の溶けかかった、不完全な身体の黒い芋虫達は、それでも我が身を省みる事なく、次から次へと土の底から這い出て来ると、潰れた腹脚を引き摺りながら、群れを成して白い花の許へと向かって行った。
 黒い虫山の奥はすっかり静まり返って、もう白い花の無事はどうしても確認出来ない。それでも山を築く黒い芋虫達は飽きもせず、ひたすら互いの身を噛み千切り、黒く粘着く雨を降らせている。もしかしたら、白い花はその粘液に既に押し潰されているのかも知れない。
 黒い山に、赤い花の弟が生み出した巨大な芋虫が、ずるりずるりと這い寄っていく。
 どうするのかと思えば、巨躯の芋虫達は、崩れかかるその身で、白い花を取り囲む無数の芋虫達を見る見る内に押し退けていった。白い花から遠く押し退けた先で、左右不揃いな顎で芋虫達を噛み殺す。弟の根元から、何匹も何匹も途切れる事なく巨躯の芋虫が這い出して来て、それらが白い花の周囲を囲んでいた芋虫達をすっかり綺麗に退けてしまう。
 やがて、薄黒い粘液に全身ずぶ濡れになって項垂れる白い花の立ち姿が、月明かりの夜に照らし出される。
 茎は粘液の重みに歪み、肉厚の葉も倒れ、幾つかは千切れて地に落ちている。白い花の声も吐息も聞こえない。だけど地面に倒れたりはしていないし、根も無事なようだから、今は気を失っているだけなのだと、赤い花の兄は信じようとした。
 白い花が生み出す黒い芋虫は、もう何処にも姿が見えない。弟が寄越した巨躯の芋虫が、すっかり片付けてくれたのだろう。そういえば弟の芋虫も、白い花の周囲を一掃した事で役目を終えたのか、あちらこちらで崩れかけたその身を横たえて、もはや動かない。
 赤い花の兄は、それから随分と長い間、黙り込んでいた。
 今夜彼の前で起きた事は、現実であり、真実であり、絶望であり、希望であり、そしてまた、絶望だった。
 息を飲み、彼は言う。
「白い花を、助けてくれたんだね。ありがとう。本当にありがとう。きみはやっぱり、心の優しい、本当に優しい、良い子だよ」
 やはりずっと黙り込んでいた弟も、またあの落ち着き過ぎた声で言う。
「白いのは許せないけれど、お兄さんをこれ以上悲しませるのも嫌でした」
「ありがとう。本当にありがとう」
「だけど僕は、なおもお兄さんを悲しませてしまいます」
「何だい?」
「お兄さんを悲しませる出来事は、二つよりも一つの方が良いだろうと思ったから、だから白いのを助けました」
「何だい? 何を言っているんだい?」
「僕達を苦しませ、多くの仲間達を酷い目に遭わせて来た、それと同じこんなものを生み出してしまった僕自身が、僕は何より許せないのです。お兄さんを悲しませない為とは言え、こんなものに頼ってしまった僕自身が、とても許せないのです。誰かを傷付ける力なんかあったって、何の意味もない。だから僕は、なおもお兄さんを悲しませなくてはならないのです。解って下さい。お兄さん、どうか解って下さい。僕の弱さを、どうか許して下さい」
 根元から茎を這い上がる悪寒に、微かな悲鳴をあげて震えた。
 すっかり静まり返ったはずの、弟の根元から、今再びぼこりと黒い闇が顔を出す。
 溶け崩れた皮膚、左右不揃いの大顎、恐ろしいほどの巨躯。
 弟の根元から、いいや、それはまさに弟の真下から這い上がって来た。その顎の内側から、赤い花の弟が生えているような恰好だった。
 溶け崩れた巨躯の芋虫が、がちがちと大顎を開け閉じし、弟の茎を根元から齧り上がって来る。てっぺんの痩せた赤い蕾にも、間もなく大顎は到達する。
「お兄さんの傍にはいつも、僕がおります。きっと見守って」
 言い終えない内に、左右不揃いの焦げ茶色の大顎が、くちゃりと赤い蕾を噛み締めた。
 花弁に含まれていた僅かな水分が、薄紅色の雫となって、巨躯の芋虫の顎を伝う。

 

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