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SF・ファンタジー・ホラー

外道症候群 2

   

妻子を失い、悲嘆に暮れる日延宗一の前に現れたあやしが、宗一に貸し与えたという「救いの力」。それは慈愛に満ちた優しい救済とは程遠いものだった。あやしに会って話をしようと考え、数日振りに家の外に出た。あやしがいる場所は、なぜかわかった。彼の居場所まで迷わず行けた。だがその場所で、宗一は激しく乱れ狂う意識に飲まれ、凶暴化する。左手は人間の肌を失い、おぞましい化け物の鱗に変わっていた。それこそが「救い」だと、あやしは言う。

 

 日も昇り切らぬ朝。
 駅前商店街に並ぶ小さなパン屋だ。
 店の開店準備のためだったのだろう。
 体格のいい中年夫婦が一組、店の裏口前に立った。
 すぐに、細い腕に薙ぎ払われた。
 夫婦揃って頭を切り落とされたのだ。
 十代後半か、二十代。愛らしい笑みを浮かべる、年若い女性の細腕で頭を刈られた。
 鋭利な刃物で切断されたかのように、切断面は綺麗だった。そこから噴き出す鮮血を浴びながら、楽しげに微笑む彼女もまた、恐ろしいほど美しかった。
「あはは、あはははは」
 純粋に無邪気な笑い声。
 その笑い声は、酷似していた。
 いつかの夜、住宅地を走る水路の中で、一人の女性を惨殺し、そして戯れていた「生物」があげた笑い声に、よく似ている。いや、そのものなのだろう。
「あはは」
 腕で切り落とした中年夫婦の頭を、それぞれ一つずつ両手に持って、お手玉のように高く放り投げる。
 パン屋の屋根には夫の頭が、隣の古着屋の屋根には妻の頭が、ぶつかって、ごろごろと転がり落ちる。
 それきり頭部への興味は失せたようで、鮮血に艶かしく濡れる彼女は、まず妻の身体に食らい付く。
 肉付きのいい両腿を鷲掴みにして、脚を大きく開かせ、衣服の上から股間に噛み付く。衣類ごと、肉片を噛み切った。
 股間の穴を次第に大きく噛み拡げていくと、やがては穴の中に自身の頭を突っ込んで、直接内臓を貪り始める。
 早朝で、店舗裏の細い路地とはいえ、いつ人が現れて悲鳴をあげるともしれない。そんな場所で、彼女は人目も気配もまったく恐れずに、今殺したばかりの新鮮な血肉を貪る。
 それは、彼女の中からすでに、「恐れ」や「緊張」といった感情が跡形もなく消え失せているためである。
 そもそも今の彼女には、もう悲しみも怒りも、生活も恋愛も友情も、将来も思い出もない。
 喜悦と快楽と、現在。
 今の彼女が持っているのは、それのみだ。
 「人」に必要なのは、絶望や悲哀や憤怒や憎悪や孤独や苦痛などではない。
 「人」に真に必要なのは、「快楽」それのみ。
 それこそが、「救い」。それを得る力を与えることこそが、「救い」なのである。
 「それ」を現実のものとして、目の前に見つめるあやしの瞳には、堪え切れない至福の感情が湧いていた。
 路地を囲む塀の上に腰掛けて、血肉を貪る彼女を見つめる喪服姿の男、あやしは、端整な口許に上品な笑みを浮かべ、嬉しげに頷く。
「あなたはいつも、楽しそうに戯れる。あなたを見ていると、こちらまで楽しくなって来ますよ」
 子守唄のように囁く。
 囁いたその直後、冷たげな眼鏡の奥で、優しげに微笑んでいた瞳が、温もりを覆い隠す。
 中空のある一点に視線を走らせたかと思ったその刹那、あやしの姿が塀の上から消える。
 同時だ。
 消えると同時に、鮮血塗れの彼女の傍らに現れ、彼女の首を狙う凶手を捕らえた。
 それは、赤黒く変色した、鋭い爪を持つ凶悪な左手だった。
「外で会うのは初めてですね?」
 たおやかな片手で、巨大な牙のような左手を易々と受け止めておきながら、親しげにあやしは微笑む。
 上空から降って湧いた凶悪な左手の持ち主、日延宗一に対して。
「離せ! やめさせろ! そいつを止めろ!」
 あやしの親密な笑みには一切応じず、左手の五指を殺意に震わせ、宗一は叫んだ。
 家を出た時との静けさとはまるで別人のような気迫があった。
 あやしを睨む双眸は、血走り、理性さえなくしたような虚ろな鋭利を持っている。
 そして今にも噛み付いて来そうな口許。「噛み付く」というのは、そこに長大な犬歯を二本、覗かせたための表現だ。
 それが、今にもあやしの喉元に風穴を開けそうにわななく。
 剣幕は、憤怒という感情に則ったものではない。
 それは恐らく、獣の闘争本能のようなものだったろう。
 鬼か悪魔のような凶悪な形相を鼻先にしてもなお、あやしは親しげに穏やかに微笑みながら、構わず宗一に尋ねた。
「やめさせろ、とは……何をです?」
 血塗れの彼女を横目にちらりと見て、問う。あやしの後ろで、結果的には庇われている状態の彼女だが、彼女は意に介さず相変わらず新鮮な血肉を貪っている。いや、あやしの反応からわずかに遅れて、彼女も宗一が放つ殺意に気付きはしたのだ。だが、あやしがその手を止めたことから、身に迫った危機は回避されたと理解した彼女は、すぐまた食事に戻った。
「その匂いだ! 臭ぇんだよ……鼻がひん曲がりそうだ、頭が変になる! そいつのせいで、それのせいで俺はずっと……それをやめさせろ! 今すぐその匂いを何とかしやがれ!」
「……匂い……?」
 漂うのは、濃厚な鮮血の芳香だけだ。それは彼女やあやしにとっては、この上もなく官能的な香りである。
 だが宗一にとっては違う。
 気付いたのだ。
 この場所に来て、連日宗一を悩ませていた不快な悪臭の正体にやっと気付いた。
 それが、「血の匂い」であるということを理解した。
「臭くて臭くて堪んねぇんだよ! 今すぐやめさせろ! そいつのせいで妙な夢ばっかり見るんだ! やめさせろ、出来ねぇならそいつを殺せ! 殺してやる、糞餓鬼! ぶっ殺してやる!」
 押さえられたままの左手に苛立ちは募り、右手に持った大切なぬいぐるみで、堪らずあやしの顔面を殴り付けようとした。だがその右手も同じようにたおやかな手で押さえられる。
 猛獣のように興奮する宗一の両手を押さえ、あやしは困惑したように苦笑して見せた。
「まぁ、その……落ち着いて下さいな。物騒なことばかり言わないで。とりあえず、彼女の命をどうこうするのは勘弁して貰えませんか? 一応、私、保護者のようなものですから。あぁ、勿論、あなたの保護者でもありますけどね」
「うるせぇ、退け、離せ! 殺す、殺してやる!」
「……まったく」
 もう一度苦笑する。
「お話の出来ない子は、嫌いですよ」
 呟いた直後、宗一が声もなく倒れる。
 支えに出されていたあやしの腕に、前のめりに倒れた。
 声はなかった。

 

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