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外道症候群 3

   

「りか、まだ、しにたくなかったよ」。繰り返される悪夢の中で、無残な姿を晒した愛娘、里香が、宗一の狂気を煽るように言った。平気で人を殺せる化け物になどなりたくない。けれど、あやしが「救い」だというこの「力」で、里香を殺した相手に復讐出来るというのなら――
「何がしたいのか」という自問に答える自身の声は、まるで別人のそれのようだった。

 

 いわゆる「心霊スポット」と呼ばれている。
 郊外を走る国道から、少し山中に進んだ所だ。
 経営破綻から閉鎖に追い込まれたという、大きな総合病院。
 外壁に取り付けられた看板ももう地に落ちて、ロビーから続く診察室への道は、砂埃と無数の屑で埋め尽くされている。手術室や霊安室など、「出そう」な部屋は壁中に下品な落書きが刻まれ、二階以上に連なる病室には、時に浮浪者の生活の痕跡のようなものまであった。
 その病院は、最近「心霊スポット」として、その名と場所を知られるようになっていた。
 雑誌やテレビの特集やインターネットなどにより、その情報は様々な人の目に触れ、「そういったもの」に強い興味を持つ者達は、怯え半分悦び半分の浮かれた面持ちで、この場所を引っ切りなしに訪れる。
 そういった人々が増えれば増えるほど、この廃病院の噂は、さらに肥大して世間に広まっていった。
 肥大化が進むばかりの、この病院の噂とはこうだ。
 「精神に異常を来たした医師に、無残に切り刻まれて殺された何人もの入院患者の無念の霊が、遊び半分にやって来る人間を次々呪い殺していく」。
 テレビ番組の企画でここを訪れた霊能者は、建物に入るなりこう言った。
 「ここには、人の手に負えない悪質な怨霊が数多くひしめき合っている」。
 その時、その様子を遥か彼方から見つめていた一人の男は、おかしそうに肩を震わせ、呟いた。
「当たらずとも遠からず……ですかね」
 ――いわゆる「心霊スポット」と呼ばれている。
 郊外を走る国道から、少し山中に進んだ所。
 多くの人間達が、面白おかしく足を踏み入れる廃墟。
 いわゆる無法地帯と呼ばれている。
 遊び半分でやって来た人間達を、一人二人、捕らえて食い殺す。
 最低一人は必ず生きて帰す。
 そうすれば、噂は更に広まる。
 「洒落にならない心霊スポット」。
 「絶対に行ってはいけない」。
 「行けば必ず後悔する」。
 「脅かそうとして言っているのではない」。
 「本気だ」。
 そうだ、それでいい。
 ムキになって見る者の恐怖を煽ればいい。
 そうするほどに、「獲物」は向こうからやって来る。
 「日常の中の非日常」に憧憬を抱く者達は、恐怖に身を震わせるほどに、作り物ではない真実に胸をときめかせる。
 多くはわずかな人数で、幸いにも行き先を誰にも告げずに、怖いもの見たさでやって来る。
 「獲物」の方から、「鬼」の牙に掛かりに来る。
「そうだ……それでいい」
 引き攣った叫び声をあげながら、青年が一人、廃墟の乱れた廊下を駆け抜けて行く。間もなく正面玄関から転がり出て、草が伸び放題の駐車場に置いた車に乗り込み、夢中でキーを回して走り去るだろう。
 その背を見送りながら、喪服姿の眼鏡の男、あやしは笑った。
 夜も更けた廃墟内は、重く粘着くような暗闇に塗り潰される。
 その暗闇を束の間振り払う小さな懐中電灯が、光りを湛えたまま、床に打ち捨てられていた。
 砂埃の他は何もない、退屈な一角をじっと照らし出しながら、本来の持ち主の手に、再び握られる事を待っている。
 もっとも、その持ち主はもう、あやしの足元に横たわり指一本も動かさず、どす黒い鮮血を床に広げるばかりだ。
 ぽたん、ぽたん、と、一定のリズムで落ちる、指先の雫。
 あやしの指先から垂れ落ちる、赤い雫。
 不気味な暗闇でさえも香らせる、甘美な雫。
 指先を、舐めた。
 ぞくりと身を震わせ、自らの指先に、自らの舌を這わせた。
 雫は指先から舌に移り、舌の表面を染め味蕾を蕩けさせ、口腔に芳香を満たし、嗅覚を支配し理性を惑わせ、脳を貫き全身を官能で蹂躙する。
 不規則に身を震わせ、恍惚と潤む瞳で闇の虚空を見つめた。
 閉じることを忘れた唇からは、甘ったるいため息が媚びるように漏れ出す。
 わずか少量の血を一舐めするだけで、快楽の極致に達する。
 それが「人間の血」だった。
 彼ら「鬼」と呼ばれる者達にとって、人間の血肉は日々の糧であり、至上の美食であり、無二の絶頂であった。
 彼らは通常、群れから離れた「一頭」を、隙を見て捕らえて食い殺す。
 だが中には、場所を決めて待ち伏せをし、美食にありつく者もいる。
 廃墟となった病院に、思慮浅い人間達が好む餌をばら撒いて、戦慄のどん底まで誘引する、このあやしのように。
 彼は、この場所を生活の拠点としていた。理由は前述の通り、労せずして極上の珍味を食することが出来るからだ。雨風を凌げる、というのはそのおまけ程度の利点でしかない。
 彼にとっての人間とは、「救済」に値する愛らしい幼子であると同時に、食用豚である。
 とどのつまり、彼にとって人間は玩具なのだ。
 それゆえ、足元に横たわる真新しい死体の腹を引き裂くことにも、何ら抵抗は感じなかった。
 死体の頭を左手で掴んでその身を引き立たせ、右手では、すでに血に汚れている衣服ごと、腹の皮を剥いだ。
 死体の口から悲鳴などが漏れるはずもなく、服と皮膚が破かれる音だけが、静かに闇に浸透した。
 皮膚を剥いだ際に飛び散った死者の血が、あやしの髪や眼鏡や肩にも飛び散る。
 口許に付着したそれを、舌先で舐め取る。
 すでに悦楽に満ちていた瞳を、赤く汚れたレンズの内でさらに潤ませ、整った唇から、長さも方向も不揃いに伸びた幾本もの牙を剥き出しにする。
 両手で死体を軽々と持ち直し、引き裂いた腹が、露出した内臓が、丁度口許に来るように、向きを変える。
 喉の奥で唸るように笑い、闇の中に煌く赤い果肉に、牙を近付ける。
 牙の先端から滴る唾液が、波打つような腸に触れた。
 その瞬間、あやしはぴたりと動きを止めた。
 獣のものとも言えない貪欲な無数の牙が、途端に身を隠した。
 裂けた死体はそのまま手に、唇を汚した唾液を舌で拭う。それから、冷たいレンズの奥で、瞳を細めた。
「……おはよう」
 そう言って笑う。

 

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