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彼なりの親心

   2015年6月23日  

ここは様々な人が集うレストラン『ピアノフォルテ』。
音楽と豊かな個性にあふれたスタッフが営むこのレストラン。
人間は生きていれば色々な事がある。
ピアノフォルテはそんな悩みの相談から一流の音楽まで扱う、比較的おとなの客層が多いレストランである。
ここに集うのはスタッフも客も“人間”。様々な事が起こり、悩み、それを関わった人間皆で乗り越えて答えを出していく。
そんな人間味にあふれたレストランに、今日もまた悩みを抱えた常連客が来店してきた。

中年結婚式場オーナーの工藤には、職場でのスタッフ同士の人間模様でかれこれ一年ほど一つの問題で頭を抱えていた。
工藤の気がかり。それはブライダルピアニストをしている小野寺諒のことである。あることがきっかけで諒から笑顔が消え、ピアノから輝きが失われて行って…。
それに耐えられなくなった工藤は、行きつけのレストラン・ピアノフォルテのオーナーにある事を提案を持ちかける。
その持ちかけに、オーナーはレストランのピアニスト橘心治を呼び、彼の腕を見越して工藤が運営する結婚式場の潜入捜査を依頼するのであった。

 

 
 約束の二十時。工藤は予約を入れていたレストランの扉を押した。
“カランカラン”とドアベルが小さな音を立て、レストランのホールスタッフ全員が工藤がいるドアへと視線を向ける。
「いらっしゃいませ。ピアノフォルテへようこそ。」
 上品でありながらも肩に力の入りすぎない店内のムードを壊すことのないスタッフの声は、いつ聴いても心地良い。
 工藤が店内に入ってすぐに、このレストランでは数少ない女性スタッフの相良和彩が出迎えてくれた。
「お待ちしておりました、工藤さん。オーナーもカウンターで待っています。」
 この『レストラン・ピアノフォルテ』では年長者に属する和彩。
 二十代後半に入って彼女はぐんと大人になったと、工藤は自分を案内する和彩の華奢な背中とポニーテールを眺めながら感慨深くなってしまっていて。
 和彩がこのレストランに来た時のことを思うと、自分も年をとったなと思わざるを得なかった。
 
 レストラン・ピアノフォルテ。
 ランチとディナー時に開店し、その名の通り店の最奥には小規模だが一級品のグランドピアノが置いてあり、常に音楽が流れている洋食店てある。
 店そのものは大きくはない。
 テーブル席が十席と、カウンター席が五席。
 それに加えて小さなグランドピアノが一台ある。
 内装はいたってシンプルでグレーを基調としており、天井からはシーリングライトがオレンジ色の優しい光を降らせており、お子様には少し居心地の悪い大人の雰囲気に仕上がっている。
 ここのスタッフはほぼ全員何かしらの楽器が扱え、専門の学校か大学、はたまた大学院を卒業した者ばかりが揃っている。
 今ピアノの椅子に鎮座し鍵盤を眺める長身で比較的がっしりとした筋肉質な男性スタッフ。
 彼に視線を送りつつ、工藤は和彩の案内でカウンター席に通された。
「お待ちしていました。工藤さん。」
 カウンターの向こう側には銀髪の初老の男性が、工藤に笑顔で話しかけてきた。
 彼はここのオーナーである。
 オーナーと工藤はかなり長い付き合いではあるが、オーナーの笑顔に癒されなかったことは一度もない。
 現に今も、まだ何も話していないのに工藤の心はわずかに安らいでいる。
 カウンター席に腰掛ける工藤に、マスターはオーダーをとる。
「何に致しましょうか?」
 いつもの決まり切ったやり取りなのに、工藤の心は弾んでいる。
「いつものやつを。」
 言いたくて仕方なかった“いつものやつ”である。
 マスターはにっこりと笑って、はいはい。とうなずいて。
 工藤が席について落ち着いたころに、“いつもの”アップルジュースを差し出した。
 この店の常連客は、大体がスタッフやマスターのファンになり通いつめて常連になっている。
 だからスタッフやマスターとも仲が良く、個性派そろいのスタッフたちの虜になるのにそう時間はかからない。
 そしてこのレストランのもう一つの魅力が、生の楽器演奏。
 席に着き、アップルジュースを一口飲んだら、彼のピアノの演奏が始まった。
 武骨な外見からは想像のつかない、柔らかで繊細で温かな音色。
「ショパンのノクターン二番ですね。このレストランの歴代ピアニストの中でも橘心治のショパンは群を抜いています。」
 工藤は心治のピアノの音色に酔いながら、りんごジュースをまた一口口に含んだ。
「ここ最近、橘君はまた腕をあげてきました。橘君は勤勉だし読書家だから、何かいい本に巡り合えたのかもしれませんね。」
 そう言いながらオーナーが心治に向ける視線は、まるで息子に向ける視線の様に温かなものだった。
「マスター。」
 優しさにに満ちたマスターに工藤は話を切り出した。
「はいはい。あの件ですね?どんな具合でしょうか?」
 工藤の声に誘われて、マスターは心治から工藤のほうに視線を移した。
 工藤の職業は結婚式場のオーナーである。
 オーナーという立場上、悩むことは多い。
 その都度マスターには相談ごとに乗ってもらっていて、かれこれもう長い付き合いになる。
 工藤が式場のオーナーを父親から継ぐ前からの付き合いで、若かりし頃から今の中年期までそれはもうマスターには様々な相談事をしてきた。
 人生経験豊富な上、包容力に長けているマスターへの信頼度は相当厚い。
 マスターのおかげで解決に導かれた問題も数多くあるのだ。
 今回の件は少し異色で、すでに一年話が前に進まずにいて尚且つ悪化の一途を辿っている。
 事の発端は、一年前にある女性従業員を安易に雇ってしまったことにある。
 彼女の名前は斎藤美沙子。
 そこそこ有名な音楽大学を卒業した、友人の友人の一人娘である。
彼女を紹介された時、今思えば悪条件が揃いすぎていた。
 本来二名でローテーションを組んでいるピアニストが一名欠けていたこと、美沙子が指をけがしていて実技試験が叶わなかったこと、そして彼女の猫のかぶり方があまりに完璧すぎたこと。
 面接時は腰も低く物腰も柔らかで、海外留学をしていた時の体験談をはきはきと話していた。
 海外留学経験があるということは実力は確かに違いないと、工藤は高を括った。
 しかしそれが大きな間違いだったのだ。
 働き始めた美沙子は、徐々にその本性を露にしてきた。
 大半が女性の職場だからこそある、女同士の派閥争い。
 工藤の結婚式場は奇跡的になかったその派閥争いが、美沙子をのさばらせることになるなんて思いもしなかった。
 美沙子は徐々に女性スタッフを牛耳り始めた。
 自分の言うことを聞かないスタッフは無視を決め込み、他のスタッフにもそれを強要して、自分の言うことを聞かない人間を爪弾きにしだしたのだ。
 表面上は仲良く、しかし水面下では美沙子がスタッフ全員を牛耳っている。
 そんな状況に男の工藤が敏感に気がつくわけなんてなかった。

 

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