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   2015年8月18日  

 諒がレストランで働くことが決まり、心治はほっと胸をなでおろして職場へと向かった。
 その日の業務を終えてスタッフから諒に対する質問攻めにあうも、それが嬉しくも思える心治。
 マスターの勧めでスタッフに諒の性格を伝え、楽器の腕を問われ
「申し分のない才能」
 諒の腕に太鼓判を押したのだった。

 翌日の昼、約束の時間の少し前に諒がレストランのドアをたたいた。
 皆が待ち望んでいた諒。
 マスターから何か一曲弾くようにと声を掛けられてピアノの前に座った諒が奏で始めたのは、諒自身にとって思い入れの深いあの曲だった。

 

 
 昨日と打って変わって、心治がレストランに向かう足取りは軽い。
 いつも仕事場に入る時間よりもほんの少し早く、レストランの駐車場に車を乗り入れた。
 いつも止める駐車スぺースに車を停めて手荷物をまとめていると、助手席側に車が一台入ってきた。
 下車の準備をしながら今入った車の運転席にチラリと視線を向けると、車の持ち主である和彩と目があった。
 彼女はフッとクールな笑みを浮かべ、すぐに心治から視線を外して助手席に置いたバッグとバイオリンケースを手に持って車を降りて心治を待つ。
 心治は少し急いで荷物をまとめて、車を降りた。
「お疲れ様。」
 和彩の労いの言葉に、心治は一瞬視線を泳がせる。
「うまくいったみたいね。さすがだわ。」
 心治が視線を泳がせるのは、“任務成功”の証拠である。
 中学生時代からの腐れ縁で長い付き合いだからこそわかる心治のクセに、和彩は僅かな笑みをこぼした。
「まあ、それなりに。」
 心治は無愛想な返事をして、和彩から視線を外す。
 和彩は心治の一つ年上に当たるが、和彩にだけは敬語も遠慮もせず話す。
 年齢による上下関係にはとことん厳しい心治からしてみると、和彩は別格の存在といってもいいかもしれない。
「その話、後でゆっくり聞かせてもらうわ。明日は休みだし昨日いいワインが入ったから、心治君の部屋で飲もうと思ってね。今日仕事が終わったらいつも通りそのまま心治君の部屋まで行くから。」
 休日前になると心治の部屋に和彩と大和が酒を持ち込んで、飲みながら入り浸るのがいつもの流れである。
「来ても構わんが、酒は飲ません。」
 心治の言葉に、和彩は目を丸くした。
「…頭でも打ったの?」
「失礼すぎるだろ。」
 悪態をつきながら、心治は和彩を睨んで続ける。
「明日の昼、小野寺にここに来るように話をつけた。俺はともかく、お前とあいつは飲めば昼過ぎまで起きないだろ。」
 大和は元々酒に弱く、飲めばすぐさまぐっすりと寝てしまう。
 和彩は酒に強いから、飲みながら夜更かしをして明け方まで飲むから、結局起床時間が二人揃って昼過ぎになるのだ。
「明日の昼に来るなら、そのまま心治君ちに転がり込むから着替えの準備をしてかなきゃね。」
 心治の家で飲むことは譲れないようで、和彩の持ちかけに心治の拒否権は存在しない。
 昔も今も和彩には敵わないと、心治は大きなため息をつくことしかできないかった。

 ホールにスタッフが集まると、マスターは彼らを呼び集め諒が明日ここに来ることを伝えた。
 間が合えば出席してほしいというマスターの持ちかけに、全員が集まることに快諾した。
 休憩時間、心治がそのことを諒とアルバイトの二人にショートメールで飛ばすと、三人からすぐに了解の返信がきた。
 アルバイトの一人は起きられるかどうしても不安だったから、心治は迎えに行く約束を取り付けた。
 新しい仲間を迎え入れるのは、久しぶりである。
 マスターが休日に店を開けるという特例を発動したことも相まって、スタッフ一同諒がどんな人間なのかと期待を膨らまさざるを得ないまま仕事をこなしたのだった。

 その日の業務が終了し、掃除を終わらせると同時にスタッフ全員が心治の元に詰め寄った。
「新人さん、背は高いんですか?」
「性格は?何歳なんですか?」
「どこの大学の卒業生なんですか?」
 想定外の質問攻めにあい、心治は何からどうこたえていいかわからずじわじわと後ずさりするしかない。
「ちょっと待て、…落ち着け!」
 心治が大人の人間団子は苦手だと知っていても、スタッフ達は容赦なく心治を取り囲む。
 いつもならここで一喝して全員鎮めるのだが、仲間の諒に対する期待の眼差しを無碍にあしらう訳にもいかず困り果てていた時だ。
「その辺にしてあげてください。」
 マスターから声がかかり、全員心治から僅かに離れてマスターに視線を向けた。
 マスターはいつも通りにこやかにほほ笑んでいるが、その笑みがいつもよりも嬉しそうなのは見てすぐにわかる。
「橘君、小野寺君のことを少しみんなに紹介してください。小野寺君の性格は予めみんなにつかえておいた方がいいでしょう。」
 確かにそれは一理ある。
 明日全員がいきなり諒に詰めよれば、諒の性格上失神しかねない。
「わかりました。」
 心治はマスターの持ちかけに小さく頷き、心治は諒が極度の怖がりであり自信を全く持っていないことを伝え、諒には駆け寄らずにゆっくりと歩み寄り諒のペースに合わせてほしいという最低限度の連絡事項を伝えた。
「後はうちで働き始めて小野寺自身から聞けばいい。俺が知っている小野寺の個人情報を今の段階でばらまくのは小野寺に対して失礼だ。」
 いかにも心治らしい意見に、皆微笑んで同意した。
「一つだけ質問いいっすか?」
 唐突に大和が手をあげて、皆の視線が大和に集まる。
「なんだ。」
 無表情のまま心治は大和に声を返す。

「楽器の腕は?心治さんの耳にはどう聴こえたんスか?」

 耳の肥えた心治に諒の演奏はどう聴こえたのか、全員の期待が高揚する。

「申し分のない才能とだけ言っておこう。」

 ここに居合わせた全員の予想を覆す、まさかの高評価。

「明日が楽しみっすわ。」

 大和のそれは、ここにいる全員が抱いた気持ちであった。

 

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